研究課題/領域番号 |
23520104
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研究機関 | 青山学院大学 |
研究代表者 |
井田 尚 青山学院大学, 文学部, 教授 (10339517)
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キーワード | 百科全書 / 科学 / 物理学 / ダランベール / チェンバース / 科学的信念 / 科学的啓蒙 / 説得 |
研究概要 |
十八世紀フランスの数学者・物理学者ダランベールが執筆した『百科全書』の物理学・力学関連項目において、『百科全書』の編纂において当初下敷きにされた英国のチェンバース百科辞典がいかに借用・引用されているかを実証するため、1000を超えるダランベールの執筆項目のうち項目分類名が物理学ないし力学に該当する項目をカードデータを取り、データベースの作成を目指した。データベースの作成は二段階で行った。まず、項目の末尾にチェンバース百科辞典への明示的な参照指示(借用の事実を明記した記号)が見られる項目について、次いでチェンバース百科辞典への明示的な参照指示を持たない項目について、チェンバース百科辞典の該当する見出し語の項目と記述内容の類似・一致がないか厳密な比較検討を行った。 『百科全書』はフランス語、チェンバース百科辞典は英語で書かれているため、項目の記述内容の比較に際しては実際に両言語で書かれた対応項目と思われる項目同士を読み比べ、内容や使用されている文言や記号などが著しい類似を見せている場合は『百科全書』がチェンバースから借用したものと判断した。両辞典の比較検討の調査結果は、パソコン用のデータベースソフトFileMakerで作成した『百科全書』の項目データカード上に借用範囲をカラーマーカーで塗り分け、借用元のチェンバース百科辞典の項目の書誌情報を挿入することで視覚的にも容易に確認ができるように工夫をした。 さらに、実際に項目を読み比べていると、チェンバース百科辞典以外の典拠からの借用のケースも多く見受けられたため、調査対象をそれらの文献にも広げ、ダランベールが明示的、あるいは非明示的な仕方で再利用した様々な科学著作の借用範囲の特定作業にも取り組み、ダランベールが同時代の科学著作や科学雑誌ばかりでなく、力学、物理学などに関する自らの著作をも加工して再利用していたことが明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は、『百科全書』でダランベールが執筆した物理・力学項目の網羅的な典拠調査を行う中で、「研究目的」の(B)に掲げた「『百科全書』の「パラダイム論争」とデカルト主義の命運」のテーマについて、ある程度詳しく調査を進めることができた。その結果、主として十八世紀中葉に書かれた『百科全書』の「引力」、「重力」を中心とした物理項目の中で、ニュートンの運動法則、とりわけ万有引力の法則が、原理的な証明を欠いた仮説の域を出ないまでも、経験による天体の運行の観察や理論的な計算とも符号する有力な理論として、デカルトの提唱した渦動説に取って代わる支配的な「パラダイム」の地位を獲得しつつあったことを確認できた。 また、『百科全書』のニュートン主義関連の科学項目の多くは英国のチェンバース百科辞典を典拠としているが、ダランベール自身が、世紀前半のパリ王立科学アカデミーと学問の世界におけるニュートン主義とデカルト主義のヘゲモニー争いなど、当時流行の思想であったニュートン主義をめぐる学問的背景を紹介しつつ、『百科全書』の中でしばしば自ら個人的に項目の記述に介入して自説や哲学的考察を披露するなど、ニュートン主義を積極的に擁護・推進するプロパガンダを展開していること、『百科全書』の科学的啓蒙においてニュートン主義が、デカルトの渦動説に代表される前時代的な学問的旧弊・誤謬を一掃する近代科学の進歩の象徴として重要な役割を演じていることを実際に確認することができた。 なお、「研究目的」の(C)「百科全書派の生命科学と科学的「信念」の衝突」で扱う予定の生気論や機械論に関する資料収集のうち、ラメトリー、ハラーら機械論者、ボルドゥーら生気論者の著作を中心とする一次資料の収集を除く基礎的な二次資料については、これまでの研究の課程である程度入手済みであり、今後収集して読むべき一次資料についても、ある程度目星がついている。
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今後の研究の推進方策 |
25年度の年度前半は、まず前年度に資料収集を終えている予定であった研究目的の(C)「百科全書派の生命科学と科学的「信念の衝突」」に関する資料を入手可能なものから順次収集しつつ、同時に論文の執筆に必要なデータ作成の作業を急ピッチで進めたい。 25年度の前半にはそれと並行して、研究目的の(D)「『百科全書』の科学理論に見る「説得」の言説の両テーマの分析」、および(E)「『百科全書』の「受容」と科学知識の「啓蒙」」に関する文献の収集・分析とデータ作成を進めたい。 (D)のテーマの基礎資料は主として『百科全書』の項目群そのものになるが、各項目の執筆を担当した当時の一流の科学者達の著作や項目内で言及・参照指示されている科学者達の著作以外に、しばしば『百科全書』の科学項目の典拠として利用された『パリ王立科学アカデミー紀要』も分析の対象に加える予定である。(E)のテーマに関しては、『百科全書』の科学項目の読者像を絞り込むために、『ジュルナル・デ・サヴァン』など『百科全書』と読者層が重なる科学雑誌の受容形態を書評等を手掛かりに炙り出す必要があるため、大学の夏期休暇期間を利用した1週間程度のフランス出張を行い、フランス国立図書館で集中的な文献収集を進めることで、年度後半に予定している資料分析とデータ作成作業の下準備を効率的に進めたい。 なお、研究期間内に実現可能な成果を着実に挙げる上で、『百科全書』の科学項目や百科全書派の科学著作の分野をある程度限定する必要がある。そのため、研究目的の(C)は生命科学の分野、(D)と(E)は主として物理学の分野に研究対象領域を絞る予定である。 26年度(最終年度)は、(E)のテーマの分析を終え、3年間の文献収集とデータ解析を踏まえた成果発表の執筆に充てたいので、国内出張による学会発表で執筆に弾みをつけた上で、研究成果を市販の書物として世に問うつもりである。
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次年度の研究費の使用計画 |
次年度(25年度)は、研究目的の(C)百科全書派の生命科学と科学的「信念」の衝突、(D)『百科全書』の科学理論に見る「説得」の言説の両テーマ、及び(E)『百科全書』の「受容」と科学知識の「啓蒙」に関する一次・二次資料の収集およびコンピュータやパソコンソフトなど研究上必要な物品の購入に研究費を充てたい。 (C)のテーマに関する一次資料は、本来ならば24年度に収集済みの予定であったが、勤務校の在外研究制度により1年間フランスに滞在することになった。海外では請求書払いが利かない図書販売業者が多いため、結果として、滞仏中に一次資料の購入が大幅に滞り、手持ちのパソコンも経年劣化したので、24年度の未使用分の約69万円のうち、研究目的(C)の一次資料の収集に30万円、コンピュータの更新に25万円、パソコンソフトの更新に14万円を充てたい。 (D)のテーマの基礎資料は『百科全書』だが、各項目の執筆者の著作及び項目内で言及される科学者の著作も分析する。(E)のテーマに関しては、『百科全書』の科学項目の読者像を絞り込むため、『ジュルナル・デ・サヴァン』など『百科全書』と読者層が重なる科学雑誌の受容形態を書評等を手掛かりに炙り出す必要があるため、1週間のB.N.への出張を予定し、旅費25万円を計上したい(国外旅費15万円、宿泊・日当10万円の試算)。なお、マイクロ資料代に5万円、(D)の「説得」に関連した当時のレトリック関連の参考文献、及び(E)のテーマである科学知識の「受容」に関連した参考文献の購入に10万円、計15万円の設備備品費を充てる。なお、パソコンソフトや学術用のCD、DVDの購入に消耗品費として3万円を、資料整理のアルバイト代(1名)に4万円を、そして通信費、複写費には3万円を計上しておく。
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