本研究は、近代ドイツに成立したドイツ・ユダヤ学に「預言者」と「祭司」を対立させるパラダイムがあり、それは、またユダヤ学のみならず近代西洋思想に共通する「預言者」偏重主義が背景にあるのではないかという問題意識の下、ユダヤ教文献を通して、「預言者」「祭司」についての言説を収集し、分析することを主眼とした。 初年度は、近代ドイツ・ユダヤ学の牽引者である、L.Zunz、A. Geiger、L. Beackらの著作を通して、彼らが「預言者」の後継者としてラビを見なしていることを確認した。しかし、彼らが分析の対象としたラビ・ユダヤ教文献では、「預言者」「預言」の言及よりも「祭司」にかかわる言及が圧倒的に多いことを統計的に確認した。 2年目は、ラビ・ユダヤ教文献やタルグムでの「祭司」「預言者」像についてデータ収集を進めた。この過程で通常ヘブライ語聖書では「預言者」とみなされるエリヤが、タルグム偽ヨナタンでは頻繁に「祭司」という称号が与えられていることが明らかになった。分析を進める過程で、タルグム偽ヨナタンでは、祭司とメシアの役割が重ねられていることが窺え、文献ジャンルによる祭司観の違いが想定された。 最終年度は、預言者についての言及は、13世紀以降のミドラシュ・アンソロジーにおいて急激に増加するこを確認した。また、祭司の活動の場である「神殿」が崩壊した事件を、直近に成立したラビ文献では、あたかも神殿が存続しているかのような記述を続け、500年の時間が経過して、ラビたちのエートスである「トーラーの学び」と神殿とがダイレクトに結びつけられる過程を検証した。ラビたちの歴史記述のスタイルと彼らが神殿と自己を直結させていることを確認した。 以上より、従来のユダヤ学が理想像とした「預言者の後継者としてのラビ・ユダヤ教」像は、必ずしも実態に即していないことを示唆している。
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