研究課題/領域番号 |
23520113
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研究機関 | 久留米大学 |
研究代表者 |
吉田 洋一 久留米大学, 文学部, 准教授 (90441716)
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研究分担者 |
島 善高 早稲田大学, 社会科学総合学術院, 教授 (60187424)
大島 明秀 熊本県立大学, 文学部, 准教授 (50508786)
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キーワード | 北部九州地方 / 江戸時代 / 儒学 / 福岡藩 / 中津藩 / 熊本藩 |
研究概要 |
今年度は、北部九州地方の儒学者に関する基礎知識を習得しながら、個別事例の検証を行った。 福岡藩関連については、貝原益軒の高弟・竹田家に関する学術関連の動向を瞥見する未見史料の翻刻・解説を作成中である。事例研究としては、中津藩医村上家史料の検討(業績参照)を行った。村上家六代目玄秀(延享2・1745―文化15・1818)に関しては、既に2007年度の医学史料叢書により、その後半生について言及し 、藩に出仕していた時期を中心として解明を試みた。その結果、藩出仕の詳細や五代藩主奥平昌高の妻に対する診療の様子、息子・玄水の久留米藩留学の経緯などを瞥見した 。しかしながら、玄秀が藩に出仕する以前の事績に関しては史料も乏しく、先行研究でも触れられておらず依然として不明瞭である。本稿では、村上玄秀が明和六(1769)年に作成したとされる「論語聞書」について検討し、青年期の玄秀の事績についての解明を試みることで、学者の修学状況を例示した。彼の論語修養は、荻生徂徠(1666―1728)『論語徴』の引用が多いことから、玄秀の論語解釈に徂徠学が影響を及ぼしていることが判明した。しかしながら玄秀自身が「徂徠学派」であるか否かは、本人の言及など未見の部分が多いので、現状で結論を出してしまうのは早計であろうと思われる。玄秀の後半生に於いて、徂徠学と医学がどのように関わっているのかということは、中津藩全体の儒学史を概観し論じる必要があると思われる。 また2013年2月、南榮技術學院(台湾・台南市)において、現在までの科研課題研究の進捗状況と今後の課題について口頭発表を行った(「北部九州地方の儒学」)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
本研究を遂行する最も重要な意義は、九州儒学思想伝播過程の事例として、「亀井家関連史料」の悉皆調査にある。(財)亀陽文庫・能古博物館(福岡市西区)の亀井南冥・昭陽父子関連の所蔵資料のうち、関係書簡約50点の写真撮影及び調査に関しては、写真撮影などの基礎調査は終了し、今年度悉皆調査を遂行中である。九州大学附属図書館所蔵「竹田文庫」は、貝原益軒の高弟であり代々福岡藩儒として仕えた竹田家(初代・定直)歴代の記録・書簡類である。竹田家の資料は当館・福岡県立図書館・福岡県立修猷館高等学校・竹田家御子孫宅に分置されており、総計約5000点。個人蔵以外は目録化されており、亀井家関連資料の検索及び調査が作業の中心となる。このうち個人蔵の関連史料に関しては史料翻刻が終了し、活字化へ向けて準備中である。 北部九州地方の儒学に関しては、儒学者個人の事績は言うまでもなく、各藩政のなかでの藩士教育の展開や、庶民教育の浸透具合など悉皆的な研究を行うことが必要不可欠であるため、より一層の事例収集が求められる。
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今後の研究の推進方策 |
史料調査に関しては、慶應義塾大学附属図書館所蔵「斯道文庫」(「亀井家学文庫」)の調査がある。同文庫は南冥・昭陽父子の自筆稿本・蔵書類約370点を所蔵している。目録は阿部隆一「亀井南冥昭陽著作書誌」があり、医学関連書冊の確認調査を行う予定である。また、稲村三伯関連資料調査を行う。稲村三伯(1758~1811)は江戸時代の蘭学者で、蘭日辞典『江戸ハルマ』の編纂で著名。安永五年(1776)に南冥に従学している。三伯の出生地である現鳥取県の調査を行う。さらに、小石元俊関連資料調査を行う。小石元俊(1743~1808)は京都の蘭学者。南冥と同年に永富独嘯庵に入門し、以後交友を密に持った人物の一人である。現京都市の究理堂文庫は小石家歴代の資料を多数所蔵している。究理堂文庫目録(同書所収)には南冥・昭陽関連の資料があり(概要調査済)、再調査と撮影などを行う。 加えて、北部九州地方の儒学に関するシンポジウムを開催する。江戸時代後期から幕末に至る思考様式の概要を包括的に理解する手段として、筑後国久留米出身の神官・真木和泉守保臣を事例として、政治史、思想史、法制史などの側面から、江戸時代の儒学思想が、近代化に至る過程でどのようにして一個人の中で結実していくのかを検討してみたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
平成24年度繰越金に関しては、上記「推進方策」の補填を主な目的として使用する。
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