研究課題/領域番号 |
23520113
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研究機関 | 久留米大学 |
研究代表者 |
吉田 洋一 久留米大学, 文学部, 准教授 (90441716)
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研究分担者 |
島 善高 早稲田大学, 社会科学総合学術院, 教授 (60187424)
大島 明秀 熊本県立大学, 文学部, 准教授 (50508786)
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キーワード | 18~19世紀 / 北部九州の儒学 / 亀井南冥 / 真木和泉守 / 日田廣瀬家 / 福岡藩医 / 国際情報交換(台湾) |
研究概要 |
平成25年度は当該研究課題の基礎的調査をすすめながら、一般市民に還元する成果としてシンポジウム(「シンポジウムin久留米 真木和泉守の思想をたずねて―幕末から明治初期、欧米からの外圧を前に日本人はどう生きたか―」2013年7月21日於久留米大学)を行った。これは、北部九州地方の儒学思想が、幕末維新期に及ぼした影響を解明する手段のひとつとして、久留米の神官・真木和泉守(1813―64)を事例に、基調講演(「真木和泉守が現代に投げかけるもの」)とパネルディスカッション(代表者発表「真木和泉守の修業過程」、共同研究者(島)「真木和泉守の国家構想」ほか2名)を実施したものである。 研究代表者は、神官である真木和泉守の思想基盤が、国学だけでなく儒学にも影響を受けていることを述べ、彼の儒学の師が亀井南冥の学統であることを検証した。同シンポジウムは、2014年に水天宮(久留米市)にて執り行われる真木和泉守没後150年大祭のプレイベントととしての位置づけもあり、水天宮及び周辺自治体の協力を得た結果、250人以上が参集し盛況のうちに終了した。 研究成果(論文など)としては、「村上家の人物交流―所蔵掛幅を素材として―」(中津市歴史民俗資料館分館医家史料館叢書XIII『人物と交流III』中津市教育委員会、2014年3月、所収)を発表した。これは、同資料館分館村上医家史料館所蔵の掛幅(11点の史料貼付)を素材として、中津藩の医家・村上家と近隣の学者との交流を瞥見したものである。貼付された個々の史料の関連性は管見に及び限り不明であるが、日出藩儒の帆足万里(1778―1852)や杵築の大儒・三浦梅園(1723―89)らとの新たな関係性が確認された。 学会発表では、南榮科技大學(台湾・台南市)にて開催された「異文化交流國際學術検討會」(2014年3月14日)にて研究発表を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究目的に記した「幕末・維新期との連続性」という観点は、平成25年度のシンポジウムなどである一定の成果を得られたと思われる。また「個々の儒学者の思想について師弟関係を中心とした学統のみではなく、「同時代性」も鑑みながら個人間の交流などを追究」するという試みに関しても事例を提示した。 ただ、儒学者でありながら医学者であるという「儒医」の存在についての言及は、現在のところ達成できていない。現時点の先行研究において、「儒学者」あるいは「国学者」と認識されているものの中には、過去に医業を営み医学書の著作があるものが多い(例えば荻生徂徠・本居宣長など)。それらの研究に関しては、医学と連関させた追究が不十分である。「儒医」について検討を加えることによって、彼等の医学に対する認識や、これに端を発して「死生観(鬼神論)」などの思考様式の全容解明に新機軸を投じることが可能であると思われる。
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今後の研究の推進方策 |
基礎作業を継続的に進めながら、上記「達成度」の項目で述べた事項に関して具体例を提示したい。 2014年は、福岡藩儒・貝原益軒没後300年、亀井南冥没後200年にあたる。福岡地域では関連イベントや展覧会など、本研究課題へ裨益する事項が実施される。これらの情報をふまえて平成26年度の研究に活かしたい。 研究の中心となる亀井南冥に関しては、他の学者に比べて著作物が少ない上に、経典の注釈書(『論語』、『春秋左氏伝』)が中心であるため、個人の思考様式の抽出がやや困難であるように思われる。研究代表者が注目したのは彼の儒学思想の前提となる医学思想である。彼の医学に関する未見資料の探索、翻刻、それに伴った精緻な年譜作成と、近世北部九州地方における彼の思想的位置づけを明確に解明したい。
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次年度の研究費の使用計画 |
平成25年度の予定であった史料調査が実施できなかったため。 上記史料調査の実施に加え、亀井南冥の伝記(一般書)の出版及び各種イベント協力に関する調査研究費。
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