研究課題/領域番号 |
23520113
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研究機関 | 久留米大学 |
研究代表者 |
吉田 洋一 久留米大学, 文学部, 准教授 (90441716)
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研究分担者 |
島 善高 早稲田大学, 社会科学総合学術院, 教授 (60187424)
大島 明秀 熊本県立大学, 文学部, 准教授 (50508786)
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研究期間 (年度) |
2011-04-28 – 2015-03-31
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キーワード | 18~19世紀 / 北部九州の儒学 / 亀井南冥 / 竹田春庵 / 中津村上家 / 北部九州の医学 / 久留米大学 / (台湾) |
研究実績の概要 |
平成26年度は、当該研究課題の基礎的調査を補填しながら、課題の最終報告へ繋がる調査研究を行った。 「村上春海の紀行文―『諸雑用記』を中心に―」(『人物と交流Ⅳ』所収)では、村上医家史料館(大分県中津市)所蔵の史料を検証した。中津村上家は、代々中津藩医を勤仕する家(春海は8代目、1808~93)である。史料の内容は、①「京都より帰路日記、②「(仮)富士登山記」、③「江戸御滞留中御到来」、④「(仮)日光東照宮道中記」、⑤「(仮)金銭書き上げ(備忘)」、となる。富士登山(富士詣)は、「富士講」信者を中心に広まっていったようである。他の宗教や教育(藩校)とは違い「富士講」自体は江戸幕府の統制には含まれていなかったようで 、当時は比較的自由に登山が可能であったと考えられる。検証の結果、①と②は同時期のことが記されていると考えられ、それを踏まえたうえで、富士登山や日光参詣の詳細(同行人や支出、食事の献立やその値段など)を丹念に精読することが、中津藩士だけでなく、当時の旅行(紀行)の様子を検証する上で肝要であると思われる。 「春庵文稿(和文篇)」(『久留米大学文学部国際文化学科紀要』所収)は、福岡藩儒で貝原益軒の高弟竹田春庵(1661~1745、名は定直、字は子敬、春庵はその号)が記したものである。子孫も代々その職を継ぎ、4代目竹田定良(1738~98)は福岡藩の藩校創設に尽力した。春庵は、益軒の最高の助手・共同研究者として共著・校正、さらに浄書役を買って出た人物である。同文稿は北部九州地方の儒学を体系化する上での基礎史料となろう。 招聘講演では、「北部九州の医学と久留米大学」という演目で研究成果の中間報告を行った(南榮科技大學、台湾・台南市)。1927年に発足した九州医学専門学校(現久留米大学)が同地域に根差した経緯を、江戸時代の医学(北部九州地域)を概観しながら平易に解説した。
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