研究概要 |
本研究は、「明治期における音楽録音資料・蝋管の保存体制と公開手法の研究」(H18-20年度 日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(B)一般 研究代表者:薩摩雅登, 報告書編集:松村智郁子) [同報告書 p.87, pp.103-121] の「明治期の新聞調査」に関する成果を発展させた内容のものである。本調査と併せて、明治11年(1878)から大正元年(1912)12月までの新聞(『朝日新聞』系、『毎日新聞』系の他)にて「錫箔蓄音機」「蝋管」「蝋管蓄音器」「平円盤」「平円盤蓄音機」に関連する約30社、約1800件の記事や広告を調査した。 本研究では、明治期の新聞調査を通して、「再生と録音」という蓄音機の機能的な部分が最大限に活用されていたことが明らかとなった。「再生機」としての利用は、娯楽施設や劇場において「見世物」や「呼び物」として重宝されたことに始まる。軍事的催し、学校行事等、人々の集まる場での使用は必需となる。大衆向きの他、語学学習、音楽の稽古、家庭の団欒、船上など、個人や少人数による小規模での使用にも広がる。時に「蓄音機」は人に変わり音楽の演奏、展示品の解説、店先では客の呼込みをする等活躍の場は尽きる事がなかった。さらに、負傷者や病人、精神の安定等のためにミュージックセラピーまでも行われた。一方、「録音機」としての利用は、通信、調査研究、遺言の記録、邦楽譜作り等貢献は幅広く、自分の声を録音することを目的に「蓄音機」を購入した著名人も居た。また、蓄音機店による新聞広告から、明治期に販売の曲名、演奏者名を分析した結果、三味線曲の需要が圧倒的に多く、西洋楽器による軍楽隊でも邦楽曲が演奏され、音楽以外では、歌舞伎役者の台詞が人気を博した。これは、本研究で未着手となった「市販の蝋管の曲名調査」の事前調査にもなったといえる。また、「各ジャンルの人気の理由」「蓄音器の価格と機種名の特定」なども継続して追跡調査を行いたい。
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