本研究は、明治11年(1878)~大正元年(1912)12月の都市新聞から「錫箔蓄音機、蝋管、蝋管蓄音器、平円盤、平円盤蓄音機」の記事や広告、約30社、約1800件を調査し、蓄音機の機能的部分(再生と録音)の活用を明らかにした。 「再生機」としては、娯楽施設や劇場での「見世物」に始まり、軍事的催し、学校行事等、人々の集まる場で使用された。後に個人の語学学習、音楽の稽古、家庭の団欒等、小規模の使用にも広がる。時には人に変わり音楽の演奏、展示品の解説等活躍の場は尽きず、負傷者や病人のために蓄音機でミュージックセラピーも行った。「録音機」としては、通信、調査研究、遺言文、邦楽譜作り等、幅広く貢献した。
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