研究課題/領域番号 |
23520166
|
研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
越智 和弘 名古屋大学, 国際言語文化研究科, 教授 (60121381)
|
キーワード | 資本主義の精神 / 性的悦楽の敵視 / 性の解放運動 / 女性アート / 労働力均質化 |
研究概要 |
西欧が今日支配文明になりえた最大の理由が、資本主義を「だれもが参加できる制度」として発展させた事実に見いだせる、という研究初年度に得られた成果を踏まえ、本年度は、資本主義を支えてきた性的悦楽を憎悪する精神と、資本主義がもっとも浸透し発展した地域において、20世紀後半期に性と女性の解放が要求されたことの矛盾の解明が、研究の課題として掲げられた。 問題の在処を明確にするために、「世界の文化地図」という資料が用いられた。それによると、今日資本主義を機能させる条件がもっとも整った地域が、地球規模でみるとヨーロッパ北方と北米英語圏に依然として限定されていることが判明した。そのうえで、1960年以降、性と女性の解放運動が勃発した地域もまた、この資本主義がもっとも発展したプロテスタント地域と重なる事実が確認された。 厳しい禁欲を実践することで発展してきた資本主義世界において、性と女性の解放が世界に先駆けて叫ばれるようになった理由を解明するための道標として、女性の現代アートを取り上げた。その理由は、ハイデッガーが『芸術作品の根源』で述べたように、理屈では理解しがたい人間がおかれた真の立ち位置を心に訴えうるうえで、芸術が他に代えがたい手段を果たすからである。その意味で女性パフォーマンスが表象するのは、資本主義世界における性と女性がおかれてきた世界そのものであった。 ただ本研究は、性と女性が抑圧から解放されたことを評価する視点にはとどまらない。60~70年代に切実な問題であった性解放の必然性は、そのわずか数十年後にはまったく理解されなくなってしまう。そこから本研究は、じつは主体的な運動としてとらえられた性の解放も、じつは、女性的他者を均質化された労働力として取り込むために資本が仕組んだ戦略であったのではないか、という問題提起に至ったところで本年度の区切りを付けた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
労働力均質化のメカニズムを解明するうえで、2年目の研究課題として計画していた、禁欲を至上命令とする資本主義の精神と20世紀後半期に起きた性の解放との矛盾の解明をめぐって、「労働力均質化時代の性と文化 II.性の解放と資本主義の精神(1)」と「労働力均質化時代の性と文化 II.性の解放と資本主義の精神(2)」という二つの論文を書き上げられたことが、計画通りの成果が上げられたと考える最大の理由である。 一つ目の論文は、資本主義が円滑に機能するために欠かせない情報と契約への信頼を最優先に実践する人びとが暮らす地域が、いまだ地球上で限られている視座に立ったうえで、じつは20世紀後半期に性の解放運動が勃発した地域もまた、これらプロテスタント諸国とも言い換えられる地域とみごとに重なっていることに着目した。この一見矛盾する関係を解く鍵が、女性アーティスト、キャロリー・シュニーマンの作品『胎内からの巻物』において体現されていることを示したうえで、このような性と女性の解放を唱える風潮が、21世紀にはいると理解不能になっている不可思議な現実を指摘した。 二つ目の論文は、主体的に引き起こされたと思われてきた性の解放運動が、じつは資本主義が新たな段階に至るための通過儀礼であったのではないかという問題提起からはじまる。そのうえで、性の解放が1960年代に勃発するうえで、その舞台を準備した三つの要素について論じた。これらの要素は、歴史的偶然であるかに見えながら、じつは、女性的他者を資本のスタジアムに取り込むための条件を整えるうえで不可欠な役割を果たしたことが判明する。女性と非西欧人を均質化された労働力に変換するためには、女性の領域として存在しつづけてきた性と官能の世界を、男性的価値で測定しうるものに還元する必要があったのである。
|
今後の研究の推進方策 |
平成23年度及び平成24年度に計画に従い得られた成果を踏まえ、平成25年度は、1960年代に起きた性の解放運動が単に性を解放することを唱えただけではなく、じつは、性の解放を哲学的に根拠づけることに真剣に取り組んだこと、すなわち「性の思想化」の内実と、それがもった意味とその評価が課題となる。研究を推進するための方策としては、この時代の若者たちに性の解放を理論的に根拠づけた哲学者として圧倒的な評価を受けたヘルベルト・マルクーゼとその主著である『エロスと文明』をまず取り上げる。マルクーゼのこの著書は、じつはフロイトの代表的な文化論である『文化の中の居心地の悪さ』の批判的考察というかたちを取っている。 振り返れば本研究は、その成果として年度ごとにまとめつつある論文『労働力均質化時代の性と文化』において、西欧が支配文明たるうえで掲げた「普遍性」を批判(「I.支配文明の基本構造(1)、2.普遍性の奥に隠れた特殊性」)し、加えてそうした普遍の体現者として、性的悦楽を抑圧することで労働への意欲が生まれることを主張したフロイトの批判的考察を、研究を貫く縦糸とすることを宣言していた。(「I.支配文明の基本構造(1)、4.北方の風土が文化形成に果たした役割」)(「I.支配文明の基本構造(2)、5.自我の法廷としての超自我、もしくはその過剰さが形成する文化」)したがって本年度の研究が性の解放運動の思想化を課題として掲げるうえで、フロイトの普遍性を批判することで1960年代に脚光を浴びたマルクーゼの論をさらに批判的に考察することの意味は大きい。
|
次年度の研究費の使用計画 |
次年度の研究は、以上に示した「性の思想化」が中心となるが、本研究はさらに「性の商品化」と「性の芸術化」をテーマとする考察をもって完結する予定である。計画されている研究の完成まで科研費の援助を継続して受けられることが望まれるが、次年度においては、研究の最終部に来るはずのテーマである労働力が均質化した時代における芸術の可能性を探るために、ドイツの現代アーティスト、レベッカ・ホルンが20世紀後半期以降一貫して制作し続けている女性のセクシュアリティとその不在をめぐる作品とその資料等を中心に、実際にドイツに赴いて調査することに研究費を使用することを計画している。
|