本研究は近代日本における西洋音楽と楽器の文化変容の事例研究の一つとして、長野県諏訪地域におけるラッパ文化に着目し、主に文献調査およびフィールドワークによって、その歴史と現在を明らかにした。 幕末に軍隊の信号の道具として取り入れられたラッパは、明治期に日本各地の消防組の備品として広く普及した。ただし、その後の通信技術の発展によりラッパは形骸化したが、長野県においては戦後に「ラッパ隊」が音楽演奏団体として再編され、1980年代以降に「吹奏大会」が開催されたことで演奏技術水準が向上した。特に諏訪地方では消防団ラッパ隊が御柱ラッパ隊の直接の基盤となり、現在では民俗音楽として独特な文化を形成している。
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