2013年度は、理論的分析の対象として近年の村上春樹作品を取り上げた。そこではクラシック作品の特定の音盤が示されることで、虚構世界への直接的な接触の仮想が具体化されている。こうした点について、文学と音楽を「観念的内在性」・「物理的顕現」の二様態をとる「他筆的」な芸術とみなす、ジェラール・ジュネットの議論などと合わせて検討した。まず前提となるのが、虚構世界で主観的かつ客観的事象として存在する音楽と、実際の世界に「他筆的」芸術として在る音楽との「同一性」である。加えて、物理的時空間に過ぎ去っていく音響として顕現するほかない音楽作品が、小説世界ではあたかも全体性、統一性を具現しているかに見える。こうした意味で、「他筆的」芸術である文学作品と音楽作品は、それぞれに内在する観念性を相互補完的に機能させていると言える。ここからさらに、音楽作品の「個体」性が問題となるが、レコード普及以後のクラシック音楽における「個体」の捉え方は、観念的存在である「作品」と、個別の演奏の聴取経験に存する「サウンド」(細川周平『レコードの美学』)とのいずれに重点を置くかで異なる。村上春樹作品における、特定の音楽作品と実在する音盤という二層の固有名は、音楽の「個体」性をめぐる二様の観点に対応しているとも考えられる。また、作品で語られる二種の音盤の存在も、小説世界の一部となって顕現する音楽作品の質的な同一性と、「今・ここ」に生じる「サウンド」の聴取経験とを折衷する働きを持つ。以上の考察を通して、音楽描写を含む小説世界が成立する際に、文学作品と音楽作品に共通する観念性、虚構性が果たしている機能の一端を明らかにすることができた。また、本研究全体においては、文学と音楽における理論上の問題を相互参照することによって、両領域の作品分析を深化させるために有効な視点が得られることが確認できた。
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