本年度は、3カ年の研究期間の最終年度にあたり、以下の研究を実行した。 1 近世版本の版下作成にあたった筆耕者の主な供給源は、致仕した浪人と想定される。その想定のもとで、彼ら武家右筆たちが、諸記録の筆写、文書の作成という業務のかたわら、文芸作品の書写にも関わっていなかったかどうか、という観点で、『御書籍目録 御右筆所』(米沢市立図書館蔵)に着目し、複製を収集、内容を精査した。 2 往来物『船由来記』(元禄一六年刊)の版下筆者であり、加賀藩の右筆であった加賀藩右筆池田松斎の著作物をリストアップし、未収集作品の複製を収集し、内容を精査した。 以上の研究を踏まえ、平成23・24年度の成果と合わせ、本課題研究において、以下のような成果を得た。 近世前期における出版研究の中で、最も伝存資料に乏しく実態を把握することが困難なものが筆工についての研究である。その中で本文・挿絵ともに京都の出版物と顕著な造本意識の異なりを見せるのが、初期江戸版の版下である。本研究では、その中の本文版下に注目し、従来漠然と指摘されている、その「特異性」「独自性」の実態を再検討した。その結果、初期江戸版の本文版下は、基本的に上方の浄瑠璃本の版下の作り方を踏襲し、その書風が変化したものである、と結論付けた。またその書風は、基本的に当時の書風の中心であった御家流の幅広い枠内におさまるものである、との結論を得、以上の研究を「近世前期 江戸版の本文版下」(京都府立大学学術報告『人文』64号 2012年)として発表した。この研究の過程で、そのような江戸版の本文の書風と似た書風をもつ者に、某藩の右筆崩れと思われる隠岐置散子と名乗る書家の存在を発見した。今後は、このような武家右筆の書写活動を調査していくことによって、近世前期出版物の版下作成に関わった筆工の実態がより明らかになると思われる。
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