研究課題/領域番号 |
23520348
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研究機関 | 神戸女学院大学 |
研究代表者 |
鵜野 ひろ子 神戸女学院大学, 文学部, 教授 (30145718)
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キーワード | エミリ・ディキンスン / ペリーの日本遠征 / 植物標本 / 日本の花 / 日米文化交流 / 19世紀 / ニューイングランド地方 |
研究概要 |
『神戸女学院大学論集』60.1(平成25年6月)に発表した「エミリ・ディキンスンと日本の花(1)」では、ディキンスンが作成した植物標本中にある日本原産のスイカズラ(Lonicera japonica)の入手経路について論じ、ペリーの日本遠征中に隊員のSamuel WilliamsとJames Morrowが採取した植物標本が1855年1月にワシントンに到着した直後の2月に当地に国会議員の父親を訪ねた彼女が、Asa Gray教授がそれらの品種を判定する前に、その一部を分けてもらったというのが、最も可能性が高いと結論づけた。 その後、ハーバード大学のGray教授の標本データベースの中に、Lonicera japonicaがあることがわかったが、ペリーの日本遠征隊の採取したものではなかった。しかし、WilliamsとMorrowの採取した他の植物の標本がそのデータベースに何点かあることがわかったので、平成26年2月にHarvard University Harbaria (HUH)に行って調べたところ、まだデータベースに入れられていない標本が多数あることがわかった。そこでHUHの研究員の協力を得て探した結果、WilliamsとMorrowが採取したLonicera morrowiだけでなく、Lonicera japonicaの標本も保管されているのを発見した。 さらに、ディキンスンの標本と日本遠征隊の標本との関係を示すものがないかを調べるため、Lonicera japonicaの他に、両者に共通にある14点の標本をHUHで探し出し、検討した。その結果は平成26年6月発行の『神戸女学院論集』61.1に「エミリ・ディキンスンと日本の花(2-1)」として、発表の予定である。なお紙面の都合上、7点についてのみに絞った。 ディキンスンが学んだMount Holyoke College(当時はSeminary)の資料室で、19世紀後半に卒業生によって作成された植物標本帳を見た。またHarvard UniversityのHoughton Libraryで、恩師のHelen Vendler教授のお蔭で特別に、ディキンスンの植物標本帳の現物の一頁目を見せていただいた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
これまで母の病気介護等のため研究がやや遅れていたが、平成24年秋に私自身の病気が見つかり、その年の暮れから翌年の1月半ばまで入院した。さらに半年以上、副作用の強い治療をしていたため、研究が大幅に遅れた。 平成25年6月末まで病気治療の予定であったが、同年8月末まで治療が延長されたので、3月中旬から休業していた本務校への業務復帰も9月半ばとなった。従って、8月初めに出席を予定していたワシントンDCでの、三年に一度のエミリ・ディキンスン国際学会大会参加も、またその後の当地での資料収集も断念した。平成25年9月中旬に大学業務に復帰したが、治療の副作用がなおしばらく続いたので、体力の回復が思わしくなく、本研究も平成26年2月後半の米国ボストン近辺での資料収集でようやく再開した。このような事情で研究が大幅に遅れているため、補助事業の期間の1年延長を願い、承認していただいた。
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今後の研究の推進方策 |
現在、ペリーの日本遠征隊の採取した植物標本とディキンスンの標本帳との両方にある14点の植物の内、残りの7点についての調査結果を「エミリ・ディキンスンと日本の花(2-2)」として、2014年12月発行の『神戸女学院論集』61.2に発表するため、執筆中である。 平成26年7月末に渡米し、まずワシントンDCで、ペリー遠征隊が日本で採取した植物の標本や日本人から贈られた物など、ペリーの遠征隊が日本から持ち帰った物のその後の保管先などについて調査する。また当時、中国から当地に渡ったものなどを調べ、エミリ・ディキンスンが1855年の2月~3月にワシントンDCに滞在中にどのような東洋の事物に触れた可能性があるかを調べる。 その後、8月7日から10日までアマストで開催されるエミリ・ディキンスン国際学会年次大会および理事会に出席し、当地で、彼女とウィリアム・クラーク、新島襄などとの関係を示す資料をさらに収集する予定である。 平成26年度後半は、1860年代前半のニューイングランド地方での日本の花についてのブームと、それがディキンスンに及ぼした影響についての論文を書く。来年度以降は、これまで収集した1860年代、1870年代の資料を整理し、彼女とウィリアム・クラーク、新島襄などとの関連についての論文を書く予定である。
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次年度の研究費の使用計画 |
病気の治療が平成25年6月末で終了の予定であったので、平成25年度は8月および翌年3月に渡米して、エミリ・ディキンスン国際学会大会や理事会に出席し、資料収集も行う予定であった。しかし病気治療が8月末まで長引いたので、8月の渡米を断念した。本務校の業務には9月半ばに復帰したが、副作用が続いたので、研究復帰が平成26年2月まで大幅に遅れた。そのため、研究期間を平成26年度まで1年延長し、次年度使用額が生じた。 *旅費: 平成26年7月末よりワシントンDCで資料を収集し、その後8月初めにアマストで開催されるエミリ・ディキンスン国際学会年次大会および理事会に出席し、当地でも資料を収集する。約54万円。*資料・図書等、物品費。約2万円。 合計、約56万円使用の予定。
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