フィリップ・ヴァセは『白い本』において、パリの地図上に空白のまま残されている区画を実際に訪れ、その場所の実態を報告している。彼はその探訪中に何度も戦場を歩いているような気がしたといい、自分の企ては結局、戦争の痕跡を調査することだったのだ、と述べている。さらに、ヴァセは自分の計画がそもそもの出発点から本物の暴力とも関わるものであったとも言う。軍事施設もまた地図上では白く表示されるからである。 前年度に詳細な研究を行ったフランソワ・マスペロの『ロワシー・エクスプレスの乗客』にもフランソワ・ボンの『鉄の風景』にも、暴力の契機は明示されていなかったが、ヴァセの指摘を受けて振り返ってみれば、両者の書物においても実にしばしば破壊と暴力に言及されていることに思いあたる。たとえば、パリ近郊の町の多くはたびたび戦禍に巻き込まれており、マスペロは街ごとに細かい数字を挙げてその被害を書き記している。一方、ボンが見つめたフランス北東部の町々は、産業構造の変化により工場閉鎖に見舞われ、衰退を余儀なくされている。その変貌は資本と強者の暴力によってもたらされたものである。ヴァセも含む三者の企てが期せずして暴き出すことになったのは、現代の都市政策がもつ根源的な非人間性なのである。 彼らの企てにとって先駆的役割を果たしたジョルジュ・ペレックは、パリの日常を書きとめる際、自らの行動指針を次のように記している。「もっとゆっくり、ほとんど馬鹿らしくなるほどでないと。つまらないこと、明白きわまりないこと、ごくありふれた、さえないものを、強いて書きとめるのだ」。このようなプログラムは、「文学的価値観」と「社会的価値観」の二つの次元で、反時代的振る舞いとなっている。本研究によって、ヴァセ、マスペロ、ボンの三者も、ペレックに通じる反時代的身ぶりで、現代社会の日常的風景を襲う破壊に抗おうとしていることが明らかになった。
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