本研究では、香港文学が大きく変容・発展した時期である1970年代を中心に、香港の作家がどのように海外の「モダニズム文学」と出会い、受容したか。大陸での「文化大革命」が香港の1970年代文学とどのように交錯したか。香港で、文学と他の芸術ジャンルとがどのように融合し、協働して現在に至り、香港独特の「文化状況」を作り出すことになったか、という点から、研究してきた。 海外の「モダニズム文学」の紹介、受容については、いち早くラテンアメリカ文学などを翻訳、紹介した1970年代の雑誌『四季』の存在が大きい。編集者であった也斯は、新聞連載などで大衆的な小説を書いていた劉以鬯の実験的な小説「対倒」を同誌に掲載。香港の「モダニズム文学」は、西西など新たな書き手を得ながら、50年にわたりこの2人を軸に発展したと言える。本研究によって、当該の2作家、及び彼らの仲間として創作に関わり、あるいは教えを受けた文学者、映像作家、芸術家たちと接し、聞き取り等を行うことができたので、現在、執筆中の論文にも取り入れ、また、参考資料として公開していく。 本研究を通して、香港文学・香港文化をリードしてきた也斯の仕事の大きさを改めて検証することができた。多くの芸術家と自由に交際し、さまざまな芸術ジャンルを融合させて香港独特の創作環境を作り出した功績を忘却させず、それを引き継ぎ、発展させようとする動きは、早すぎると感じられる2013年1月の也斯逝去の後、ただちに友人や後輩たちによってはじめられている。 私自身は、本研究課題「1970年代香港文学の多角的な検証」の成果として、也斯の「詩と小説」の相補的な関係から香港文学の特徴を読み解くとともに、「食」と「愛情」によって「香港」を描こうとした也斯の文学をさらに明らかにしていく。「文化大革命」と香港の1970年代文学との関係についても、継続して調査・検討していきたい。
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