戦後の少年少女向け翻訳叢書においては、とくに1950年代の創元社版・講談社版全集の「東洋」編の企画に、新しい「世界」の中にアジアを位置付けようとする翻訳者たちの意思がみられる。当時の熱い中国文学熱を反映し、また媒介者たる学校教師たちは隣国を知る手立てとして作品群を捉えた。20世紀後半の「東洋」への注視は、若年読者への「教養」形成を意図するものだったが、実は明治期以来の西洋的思考に基づく見方が底流にはあった。 時代が下るとともにこの状況は変化してきており、半世紀後の電子化時代の今日において、「読書」に対する関心の変化自体、社会的問題となりつつある。
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