これまでの台湾文学史においては、皇民化運動のなかで台湾人への国語(日本語)普及が焦眉の課題となり、中国語の創作は禁止されたとする叙述が主流である。本研究は中国語による戦争翼賛を担った『南方』雑誌を対象とし、戦時期の文学状況を再認識することを目的とした。また『南方』が通俗文学雑誌であることに鑑み、戦時期における大衆性について考察することも課題とした。 最終年度となった平成26年度は、「耳で聞く文学体験-植民地期台湾のラジオドラマ」という報告を国立民族学博物館の「音盤を通してみる声の近代」研究会で行った。植民地期のラジオ放送を概観しつつ、ラジオドラマという新しい文学ジャンルのなかで、中山侑の警察物語に焦点を当てたものである。中山はラジオの持つ大衆性が戦時期に果たす重要性に自覚的だった。1942年に開設された第二放送は、広大な大衆的聴衆を獲得すべく、禁圧された台湾語による放送を行うが、そのことの意味を同時期の通俗雑誌『南方』との関連で論じた。注目すべき点は、ラジオの第二放送も『南方』雑誌も、台湾島内の聴衆・読者のみを想定していたのではなく、東南アジアや中国の占領地のそれも視野にいれていたのである。なおこの報告は、同研究会の論文集に収録するため、論文化の作業を行っている。 平成26年度までは、戦時期に中国大陸へと進出していく台湾人の姿を描いた文学テクスト(紺谷淑藻郎「海口印象記」、河野慶彦「湯わかし」、鍾理和「一個少女的死」)を分析した。最終年度の研究とあわせると、皇民化運動によって中国語が禁圧されたという見解は事態の一面しか見ておらず、占領地や東南アジア、さらには「国語」を理解し得ない台湾人「大衆」を対象として、中国語を通じた動員が放棄されたわけではなかった。その際に、通俗性の強い『南方』と台湾語による第二放送という聴覚メディアの分析を通して、戦時期文化動員の全体像が見えてくるのである。
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