大安寺創建説話の《兜率天宮→天竺・祇園精舎→唐・長安西明寺→平城京大安寺》の系譜は、《仏教東流》の東アジア文学史を象徴的に反映していた。第一に、弥勒菩薩の兜率天宮は、唐僧思託による鑑真伝『延暦僧録』天智天皇菩薩伝にみえ、その類型表現が天智天皇と同時代の新出史料、百済弥勒寺「金製舎利奉安記」にも確認された。これによって、唐と百済・日本の仏教文化の共通性と仏教東流の実態、さらに『延暦僧録』の史料性を裏付けた。第二に、祇園精舎は、仏伝とともに在俗仏教徒=居士スダッタ長者の伝説として在俗仏教徒の伝・説話に踏襲されていった。『延暦僧録』「居士伝」から、奈良・平安朝の仏教と学問を財政的にも支えた在俗仏教徒=律令官人=学徒・文人という基本構造が確認された。第三に、長安西明寺の道宣・道世が編纂した仏教類書は、奈良朝の学僧のみならず、在俗仏教徒=学者・文人=律令官人層を経て、平安中期『和名類聚抄』撰者源順らに享受され、奈良・平安朝の漢文世界を支える基本的な出典体系として機能していた。第四に、中国西北部の敦煌変文にも、仏典・歴史書を出典とする敦煌講史文学が存在する。敦煌の玄奘説話の生成は、玄奘伝を踏まえつつ、禅宗儀礼のなかで享受された。書承関係から、説話を生みだした担い手が、日本同様、『史記』『漢書』や高僧伝の文献的な基礎知識を有していることが確認された。 これらは初唐の太宗・高宗の宮廷文化の問題として捉えることが可能である。『翰林学士集』『懐風藻』から、初唐の太宗・高宗の宮廷文化の一環に、仏教的・学問的な面では長安西明寺→大安寺文化圏があり、宮廷詩・釈奠などの文学や学制の面では奈良・平安初期の「皇子文化圏」とよばれる宮廷詩の構造があった。大安寺文化圏とは、初唐の太宗・高宗の宮廷文化の仏教的側面であり、これと同様の構造が、奈良・平安朝の仏教のみならず、文学・学問を支えていたことが確認された。
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