研究課題/領域番号 |
23520449
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研究機関 | 福山平成大学 |
研究代表者 |
市瀬 信子 福山平成大学, 経営学部, 教授 (50176294)
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キーワード | 杭州 / 唱酬 / 天津 / 沽上題襟集 |
研究概要 |
天津詩壇における杭州詩人集団の活動について、更に詳しい調査を進めるため、中国・日本で資料収集を行った。天津水西荘における唱酬を記録した『沽上題襟集』は日本には現存しないため、上海図書館で調査を行った。又それを元にデータベースを作成した。それらを用いて調査を進めた結果、版本に少なくとも二種類があることを明らかにした。また『沽上題襟集』の成立時期が、収録された8人の詩人のうち、主要な客人3人が天津を去った直後であり、かつその後重要な成員となる杭州詩人陳章が天津に滞在し始めた時期にあたることを、各種地方誌、詩文集及び年譜から明らかにした。 これにより、当該詩集は天津詩壇隆盛の一時期の終焉と成員の入れ替えに当たり、隆盛時の記録を残そうという目的で編纂されたものであることを明らかにした。8人が同時に活躍したという演出をするため、出版に間に合わせるべく、陳章に急遽詩を作らせた経緯等も詩題から明らかにした。以上のように乾隆期の唱和詩集の特徴を明らかにした研究はこれまで国内外になく、唱和の展開を知る上で貴重な成果となったと思われる。また紀昀らの記録から、当時『沽上題襟集』が天津地方誌資料として評価が高かったことも明らかにした。唱和集が、詩人同士の交友を記すものとしてだけではなく、地方誌資料として存在したという発見もまた新しいものといえる。 この結果を、揚州の唱和集である『韓江雅集』と比較すると、共通点と相違点が明確になる。各地方詩壇の客人には同じ杭州詩人が名を連ねているが、詩集の形態、収録された詩の内容もそれぞれに特色があり、比較することで地方詩壇が唱和に何を求めたか、杭州詩人の役割が何であったかをより明確にすることができるであろう。更に、この後編纂された様々な唱和集に与えた影響を調べるための基本資料となると考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
昨年度学会発表を行った天津詩壇について、更に資料を収集して、より詳細な調査を行った。昨年度は、天津水西荘での唱和集『沽上題襟集』について一種類の版本しか入手していなかったが、今年度は上海図書館の調査で新たな版本を確認し、詩集の成立過程についてより詳細に研究を進め、昨年度の研究成果を更に進展させることができた。当初の計画では、天津詩壇については、昨年度内に調査を終える予定ではあったが、新たな資料を入手する必要が生じたため、今年度も引き続き天津詩壇の研究をすることになった点は、計画よりもやや遅れたと言える。しかし、新資料に基づいた詳細な調査により、データベースができたこと、またとくに杭州詩人の移動の具体的な様子、天津への出入と詩集成立の関係を明らかにできたのは、杭州における詩壇活動を明らかにするという当初の目的にかなう内容まで到達したと言える。 また、『沽上題襟集』には、杭州詩壇との交流のようすや、揚州詩壇との交流の様子がはっきりとうかがえることもわかった。これをもとに、当時杭州詩人達が地元の杭州に残った詩人と、揚州、天津へと出向いた詩人に別れていることに着眼し、彼らがどのように活動したかを、各種別集や杭州資料などから調査した。この点については当初の計画どおり、杭州における詩人たちの活動のようすを調査するという内容を達成できたと考える。 また唱和集の評価について調査するという目的については、当時の紀昀などの記述から、地方誌資料の一環として高く評価されたことを発見するに至った。唱和についての同時代の評価から、その役割を明らかにすることができたという点では、一定の目的を果たしたといえる。また次年度にむけて、当時の評価を中心に研究を進めるという方針が固まったことから、ほぼ順調に研究は進展しているといえる。
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今後の研究の推進方策 |
これまで調査を進めた揚州と天津における、杭州詩人が主導したといわれる詩壇の様子を比較し、その中での杭州詩人の役割を明らかにする。その際には唱和集を比較し、その相違がどこから来たものかを分析する必要がある。その場合、参加した杭州詩人の役割や詩風を視野に入れて比較し、検討を行う。ただし杭州詩人集団に言及する資料、杭州詩人の作品集などが国内にほとんどなく、資料が不足している状態である。これまで主に中国の上海図書館、中国国家図書館で資料収集を行った。しかしまだ不足する資料がある上、資料の中には欠落した部分部分があったり、複写制限のため、全てを取りそろえることができなかった資料も多い。そのため調査が進まなかった点がある。よって今後は、台湾の中央研究院に赴いて関係資料を収集する予定である。蒐集した資料をもとに地方における杭州詩人の辿った軌跡を、詩会という視点からまとめる。 また、地元杭州における唱和の実態を調査し、詩人たちが果たした役割とは何だったのかを検証する必要がある。これまで各種の杭州地方資料を調査した結果、杭世駿が主催したという南屏詩社の他、幾つかの詩社の名が明らかになったが、成員名も明らかではなく、具体的な活動を記すものも少ない。それを極力集めることがこれからの研究の課題となる。それを元に、杭州、揚州との活動の比較を行う予定である。その際には、杭州詩人が地方に分散する前に行った「南宋雑事詩」の制作が、世間に与えた影響が大きかったことを考慮し、「南宋雑事詩」の当時の評価内容をまず調査する。その上で「南宋雑事詩」に参加した詩人たちのその後の活動を、天津・揚州・杭州の記録の中から集め、彼らがその後唱和とどのように関わっていったのかに関する記録を、別集、唱和集と地方誌の中から収集する。それらを関連づけることによって、杭州詩人たちの活動と唱和の意味を明確にしてゆく予定である。
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次年度の研究費の使用計画 |
杭州詩人に関する資料を調査するため、できるだけデータベースを活用して、初期調査をスムーズに行う。そのため、清代資料のデータベースを購入して資料を整える。 また、実際の文献に当たるため、国内外の図書館や研究所において、資料を探し、複写して揃える。そのために、国内外への出張費及び複写費が必要となる。 出張に際しては、コンパクトなノートパソコンの必要性が考えられる。そのために、小型ノートパソコンを購入する必要がある。 その他、できるだけ書籍を揃えて、多くの文献から資料を集めることで、綿密な調査を行い、当時の記録をきめ細かく調査する必要がある。特に南宋雑事詩に関する資料を新たに調べる必要が生じた。そのために書籍代が必要となる。 それらを記録して整理するため、メディア及び関連ソフトの購入が必要となる。 更に成果を学会及び論文に発表する。そのための出張費、印刷費など諸費用が必要となる。
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