最終年度は、与謝野晶子の初期作品から晩年までの作品と、与謝野鉄幹・正岡子規等による、所謂「短歌革新運動」の前後の作品のテキストファイル化を行った。論文公刊に向けて、その基礎資料となる和歌データベースの完成を目指したが、残念ながら完成には至っていない。学会・研究会における意見交換は継続して行っているところである。 日本の韻文における字余り句は、5音句ならびに結句に多く、結句以外の7音句には相対的に少ないことが先行研究ですでに明らかにされている。また、字余り句には原則として句中に単独母音音節が含まれていること、その法則性が12世紀中葉を堺に乱れていることも明らかにされている。 その分布の要因を古代歌謡の唱詠法に帰し、乱れの要因をシラビームからモーラへという「音節構造」の史的変化に帰するのが日本語史研究の主流である。筆者は考察対象を近現代の韻文にまで広げ、日本語音韻史・韻律論の立場からあらためて調査・考察し、分布については万葉集から近代初期まで基本的に維持されていること、および、短歌革新運動前後を境にその傾向が消えていることを確認した。また、このような分布差が、韻文の持つリズムに由来すること、またその分布差が消えるのは唱詠から朗読・黙読へといった韻文享受のスタイルの変化と密接に関わることも確証を得ている。乱れについては、句中の母音音節のみを対象に調査すれば確かに12世紀中葉頃に変化が見られるものの、撥音の音韻的確立やハ行転呼といった当時の日本語音韻史上の変化を念頭に置けば、必ずしも破調の歌が急激に増えているわけではないことが判明する。 なお、与謝野晶子は自作唱詠の音源を残しているが、そのリズムは独特であり、それがいつ頃どのような経緯で獲得されたものであるかは明らかにされていない。これについても資料調査を継続して行っているところである。
|