1930年から45年までの日本統治下の台湾における国語(日本語)普及運動は、「国語講習所」等の社会教育施設を中心に展開された。「国語講習所」は、公学校に通わない多くの台湾人に日本語を中心とした教育を施し、台湾社会に高い国語普及率をもたらした。義務教育が実施されていない状況下で「国語講習所」は公学校を補完する役割を果たした。「国語講習所」は台湾の各州令によって規定された制度であり、同時期の朝鮮と差異を為す一方、「国語常用家庭」など同様の制度も見られ、台湾と朝鮮のさらなる比較研究が課題として残される。
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