満洲語は、順治年間と乾隆年間後半に大きく変化したことが知られている。本研究では、その中間の時期に清朝政府が翻訳した満洲語儒教書を大量に分析して、康煕年間前半に一般語彙・語法が着実に変化したことを、定量的に解明した。解明済みの儒教語彙の変化と合わせると、資料の成立年代や作成者を客観的に考察できる。満洲語カトリック書の語彙・語法をこれらの儒教書のものと組織的に比較して、満洲語の構文や文体に関する当時の西欧人の理解には少なからぬ問題があったことを発見した。問題点の現れ方を、康煕帝が編纂させた満洲語西欧科学書で検討することで、旗人の貢献度が数学書では低く医学書では高いことも、確認した。
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