最終25年度は、本課題の中心となる石見大森町の豪農商熊谷家および23~24年度実施した史料調査に加えて、豊後日田で幕府掛屋を務めた財団法人廣瀬資料館所蔵廣瀬家文書と九州大学記録資料館文化史史料所蔵千原家文書の掛屋・手紙の写真撮影・収集を行った。また東京大学史料編纂所・国立公文書館・江戸東京博物館・国文学研究資料館・川越市図書館・筑波大学図書において出石仙石騒動・浜田松平家所替関係史料を収集した。。 以上3年間の研究によって、豪農商層である石見熊谷家が築き上げていた人脈と情報網の実態を明らかにすることができた。また人脈と情報網をささえる手紙の郵送手段について、定期飛脚が整備されていない地域の郵送実態について詳細に明らかにすることができた。そして、熊谷家が人脈と情報網の重要性を認識する契機となったのは、18世紀後半から19世紀初頭の掛屋をめぐる地域社会との対立であること、その背景には田沼政治があったこと、天保6~7年の浜田藩主松平康任の老中罷免と所替が石見国の社会に及ぼした影響と、熊谷家が人脈と情報網を駆使して家存続の危機を乗り切ったことを明らかにし、政治史と社会史の接合にかかわる歴史学の手法について知見を得ることができた。 これら家の存続に重要な意味をもった人脈と情報網は、個人と個人、家と家の信頼にささえられていたものであり、本研究を通じて、信頼のネットワークという視点から豪農商層論・地域社会論を構築する具体的素材と方法論を得ることができ、当初設定した研究課題・目的は、おおむね達成することができた。なお、研究成果は2014年度歴史学研究会全体会(駒澤大学5月24日開催予定)において、「歴史資料としての手紙の可能性」として報告(報告後、会誌『歴史学研究』掲載)する。また、著書刊行に向けて準備中である。他に、研究成果発信のため市民向けDVD(講演会データ)を熊谷家住宅に寄贈した。
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