泉涌寺にのべ10回の調査をおこない、幕末から戦後までの文書を対象に、宮内省とのやりとりを近代を通じて追うとともに、陵墓管理の宮内省への移管、歴代天皇の法要の変化、宮中から移された念持仏や位牌と近世から泉涌寺にあった仏像などとの弁別、晃親王と新善光寺との関係、東の皇族墓地(護国寺)に対する泉涌寺に隣接する西の皇族墓地の成立などを明らかにした。また宮内公文書館で、明治期を中心に侍従など宮内省関係者の日記類を体系的に撮影するとともに、宮中の年中行事や仏教信仰、御物などの明治期の実態に迫る史料を調査した。泉涌寺での調査においては、陵墓の歴史を研究する上田長生氏(金沢大学)の協力を得た。また鹿児島県の神代三陵を調査したが、とりわけ維新期の可愛之山陵と新田神社の関係性を考察した。 本年度の研究成果としては、2012年のトロントでのアジア・アフリカ学会(AAS)における皇室の神仏分離にかかわる報告を、 The Buddhist Faith of the Japanese Imperial Family after the Meiji Restoration. Japan Review 25 としてまとめ、また高木の編著『近代日本の歴史都市―古都と城下町』(思文閣出版、全600頁)として18篇からなり、文化・宗教・美術などにわたり京都と奈良そして皇室の近代を考える学際的な歴史都市論集を刊行した。そのほか陵墓の近代を考察した「2013年に文化財として陵墓を考える 」(『(特集 天皇陵古墳のいま) 季刊 考古学』124所収)の論考や、「明治・大正期の長岡天満宮の整備」(『長岡天満宮資料調査報告書 古文書編』長岡京市教育委員会所収)などを著した。
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