研究課題/領域番号 |
23520812
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研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
古市 晃 神戸大学, その他の研究科, 准教授 (00344375)
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キーワード | 日本古代史 / 古代国家論 / 王権論 / 王宮 / 地域社会論 |
研究概要 |
5・6世紀における王宮の存在形態とその変遷過程の解明にあたり、当初、以下の5点の解明を目指した。第1、王名の命名原理の検討。第2、王名と王宮の継承の相関関係の抽出。第3、王宮の所在地とその変遷。第4、王宮に関わる反乱伝承と倭王権の権力集中。第5、王名継承原理の変化と6世紀の転換。 これらについて、第2年度にあたる今年度は、初年度の成果を前提として、第2、第3、第4の課題を掘り下げて検討した他、第5点に関わって、6世紀以降の王宮と王名についての個別研究を行った。その成果を以下、要約する。 5世紀代の王宮について、倭王及びそれに準じるような王族の王宮は、ほぼ一貫して奈良盆地東南部に営まれており、一定の固定性が確認できる。しかしその立地は丘陵、谷部といった軍事上の要地が選ばれており、この段階の王権の不安定性が示されている。この不安定性は、倭王宮を除いた王宮が、かならずしも奈良盆地東南部には集中せず、奈良盆地北部、京都盆地南部、大阪湾岸に展開することにも反映されている。これらの王宮群の周縁には、倭王とは帰属を異にする周縁的な王族の存在したことが確認できるが、こうした王族と、倭王を輩出する中枢的な王族が併存し、豪族と共にゆるやかな連合体を構成したものが、5世紀の倭王権の実態であることを確認した。さらに、風土記の伝承や記紀の王統譜との関連に注目することで、王権が地域社会を掌握する過程も明らかにし得ることを、播磨を素材として論じた。 このように、王宮の存在形態の解明は、5・6世紀及びそれ以前の王権の構成体の解明にも資することが明らかになりつつあるといえる。このことは、停滞久しい古代国家成立過程論に、新たな視座を設定することにつながるといえる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
第1に、初年度において、当初設定した目的について、おおよその見通しを得て、その成果を公表できたことによる。 第2に、当該年度において学会の大会報告を担当したため、当該研究の成果を学会その他の機会において口頭報告を行い、雑誌論文の形で公表できたことによる。 第3に、個別の要素として取り上げた、王宮名に因む王名が、当初の予想以上に5・6世紀の王宮に規定的要素として機能していたため、その検討によって、倭王権の支配構造の解明に資するところが大きく、その検討成果を雑誌論文として公表できたことによる。
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今後の研究の推進方策 |
王宮の問題がそこに居する王族の問題と不可欠に関連していることは自明ともいえるが、その視点を維持することで、従来、方法論として不充分であった、仁徳天皇(大鷦鷯王)以前の王統のあり方について、一定の見通しを示すことができる段階に到達していると考える。また王族と関わる諸豪族の動向に注目することで、列島各地の地域社会と倭王権との関係についても、従来以上の深度で解明することが可能となっている。 こうした点を明らかにする上で重要なのは、第1に検討の主要な対象としての『古事記』『日本書紀』の史料批判を精緻に行うことであり、第2に墳墓、集落遺跡に関する考古学の研究成果の批判的吸収である。第3に、西洋史、東洋史、また人類学をはじめとする隣接諸学に学びつつ、成立期の日本古代国家を他の時代、地域の国家・社会と比較可能な対象として位置づけることであり、これらの点をそれぞれ自覚的に追求する必要がある。 第1は自らの専門分野と関わり、その検討は当然であるが、第2、第3の点については、それぞれの代表的業績を検討するほか、他分野の研究者との意見交換が必要となるものと考える。
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次年度の研究費の使用計画 |
日本古代史、及び考古学をはじめとする隣接諸学の図書を購入し、王宮及び王権と地域社会の関係を検討する上で重要な列島諸地域の調査を行う。また、それらの調査成果をまとめるために必要な機器類を購入する。さらに、関係諸学会に参加して当該分野及び隣接諸学の成果の吸収に努める。 研究計画の最終年度として、研究成果をまとめた報告書の作成を行う。
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