5・6世紀の王宮について、恣意性をともなう『古事記』『日本書紀』の宮号ではなく、居地にちなむ王名から検討できることを明らかにした上で、5世紀の王宮が大和・河内・山背など広汎に分布していたこと、6世紀前半には淀川水系や大阪湾岸西部にも展開するようになったこと、この変化が倭王権の支配構造の転換に対応するものであることを明らかにした。 さらに、『播磨国風土記』を中心とする地域社会の神話・伝承を検討し、5・6世紀を通じて、中央支配者集団による地域社会の統合の度合が国レベルから村レベルに深化することを明らかにし、中央支配者集団再編の過程と地域統合の進展が密接不可分の関係にあったという見通しを得るに至った。
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