奈良時代の交通システムの要である駅家制が衰退した平安時代中後期にも、国司による任国内の交通機能が維持されていた。公的な旅行者が朝廷から派遣されると、国司は、任国内の地方豪族や、国司の政務執行機関である国衙に出仕する役人(在庁官人)に、命令を下し、旅行者に食事と宿泊施設の提供(これらを供給という)を命じた。こうしたシステムを駅家雑事という。 この駅家雑事を担う人びとは、食事を提供し宿泊をする施設を提供することによって一定の権益を獲得したものと考えられる。その実態については、史料的制約もあって、明確にしがたいが、こうした施設が恒常化することによって「宿」の原初的施設が誕生したと考えられる。
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