戦国期は流動性の高い社会であり、室町幕府―守護体制が形骸化し、中央から各地域の権力状況を秩序づける機能が弱体化していく中で、地域権力のあり方は多様な展開をたどる。本研究では、戦国期の武家の家格上昇の事例として、出雲尼子氏を中心的に取り上げて考察を進め、守護代家であった尼子氏が守護職を獲得するに至る事情を詳細に跡付けることができた。一方、守護家を中核とする秩序が容易に否定されなかった能登畠山氏・伊予河野氏・周防大内氏・但馬山名氏や、守護が追われて国人一揆が国成敗権を掌握した南山城の事例などを分析して、尼子氏の事例との比較・検討を行った。 作業の結果、守護代が実権を掌握しながらも守護家を推戴しつづけた諸大名の場合には家格秩序の根強い存続が認められるのに対し、尼子氏の場合には、守護京極氏の家督後継者が断絶する中で、京極氏から尼子氏への国成敗権の継承がなされ、幕府もこれを保証・認定するというプロセスを経て、尼子氏の家格上昇が実現したことが明らかになった。尼子氏の覇権は室町幕府―守護体制に対する反逆・独立の中から生まれたものではなく、むしろ守護代家が自らの家格上昇に関する社会的合意を勝ちとる上で、守護家の家督・守護権の継承、幕府によるその認定という手続きを踏むことが大きな意味をもっていた事実が浮かび上がる。 地域権力秩序のあり方は、各地域それぞれの事情をふまえて考察を深めていくべき課題であり、一律に論じることはできないが、家格上昇の論理や手続きを考察する上で、戦乱の推移や軍事的要素にとどまらず、社会的合意をどのように取り付けていくかが鍵を握っており、中央政界や近隣地域の政治状況を十分に踏まえて読み解いていくのが重要であると認識できた。尼子氏と並んで顕著な家格上昇を実現した毛利氏については今回は取り上げることができなかったが、引き続き研究を進めていきたいと考えている。
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