本研究の目的は、台湾総督府による博愛会を通じての中国東南部への医療支援政策とその医療の実態について明らかにすることによって、日本の植民地医学の中国大陸における前線配置とその推移を明らかにすることにある。 台湾総督府の医療政策には、台湾内を統治する上での医事衛生行政と対外政策としての医療支援策があった。本研究では、まず、1895年(明治28)の日本による台湾領有以来の医事衛生行政の展開過程と特徴を把握し、その上で対外政策としての医療支援の実態解明を行った。その上で、医療支援と台湾総督府の対岸経略すなわち中国東南部への外事戦略の一環としての病院の設置に注目した。 台湾総督府が設置した医療支援団体「博愛会」は、中華民国の華南地域で医院を経営していた。すなわち厦門博愛会医院(1918年)、福州博愛会医院(1919年)、広東博愛会医院(1919年)、汕頭博愛会医院(1923年)である。 さらに博愛会は、日中戦争が始まると日本軍が占領した海南島などの地域へ防疫や医療のために動員される。亜熱帯性気候の地に進軍する軍隊に、台湾や華南地域を活動拠点としていた博愛会のスタッフがまずは派遣された。 また、台湾にあった欧米のキリスト教系医院は、太平洋戦争勃発後、台湾総督府に接収された。台北にあった馬偕記念医院は、カナダ長老会系の医院であるが、1943年から博愛会本部医院となった。以上のように戦争の影響を強く受けた医療の実態を明らかにした。
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