研究課題/領域番号 |
23520839
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
鶴見 太郎 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (80288696)
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キーワード | 郷土 / 民俗 / 柳田国男 |
研究概要 |
前年度に引き続き、雑誌『民族』が刊行されていた大正末から昭和初期にかけて柳田国男と交流のあった民俗学者、郷土史家の中からとりわけ交渉が密だった人物を中心に、現地調査を含めて、資料収集を継続している。 特に今年度、分析の対象となったのは、佐々木喜善、高木誠一、橋浦泰雄、胡桃澤勘内であった。佐々木に関しては、『遠野物語』以降の物語作家としての活動の中に、柳田から一定程度の示唆に基づくものがあることを柳田からの書簡、当該期における双方の著述において確認した。この点については、『遠野学』第2号(荒蝦夷 2013年4月 104-114)における赤坂憲雄、山折哲雄両氏との鼎談において、系統的に述べた。 高木・橋浦・胡桃澤については成城大学、鳥取県立図書館において資料調査を行い、大正末における柳田民俗学の組織的基盤を担った人物として、資料読解を継続している。 また、同時代における柳田国男の動向については、明治末、新体詩人として得た詩的直観が、当該期に行われた地方視察の中で得られる具体的な民俗事象の中でも依然として維持されており、帰納的な方法意識と並存していたことをこの時期の柳田の著作から検証した。この点については、『小さき者の声』(角川学芸文庫 2013年)所収の「解説」において詳しく触れておいた。 これ以外に、大正末から財界における民俗学のパトロン的存在だった渋沢敬三について、その民俗観が柳田とどのように相違していたか、渋沢一族との関係で研究報告を試みた(「渋沢敬三の事業にみる伝記の執筆環境」 2013年1月12日 渋沢研究会)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
柳田民俗学の支持母体となったのは、中央の職業的な学者ではなく、地方における郷土史家たちであり、その傾向を決定付けたのは、大正期における『民族』の購読者層であった。このことを同誌の会員を系統的に押さえることによって、その輪郭をほぼ(全体の7割程度)、固めることができた。 同時に、これらの会員に向けて柳田が送った書簡を見ると、柳田は明らかに彼等について好事家としてではない成長を願っていたことが判る。明治からの史談会に特徴付けられる好事家は依然として地方に割拠していたが、柳田は自身が考える郷土研究者とそれら好事家的集団との間に明確な一線を引こうとしていた。柳田民俗学を支えたのはアマチュアの学者であることは繰り返し述べられてきたが、少なくともその淵源のひとつは『民族』の時代にあったことが分かる。
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今後の研究の推進方策 |
過去2年間にわたって個々の郷土史家を基準にして個別的に資料収集・資料読解を行ってきた。今年は最後の年度であることから、柳田国男、さらに日本の民俗学史・郷土研究史の中で、雑誌『民族』とその時代がどのように位置付けられるのか、鳥瞰図を意識しながら資料収集をすすめていく予定である。 具体的には、版元となった岡書院(岡茂雄)に関する資料があれば、系統的に収集して、同出版社が構想していた郷土像・民俗学像を抽出できれば、と考えている。それは必ずしも、柳田国男が考える民俗学とは一致しない可能性もあり、大正末における郷土・民俗学の多元的な広がりをも示唆することとなろう。 以上の工程を経ることで、最終的には今年度中に刊行を予定している『評伝 柳田国男』(ミネルヴァ書房)の完成を以って、本研究課題の節目としたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
該当なし
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