研究課題/領域番号 |
23520845
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研究機関 | 関西学院大学 |
研究代表者 |
志村 洋 関西学院大学, 文学部, 教授 (90272434)
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研究期間 (年度) |
2011-04-28 – 2014-03-31
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キーワード | 中間支配機構 / 小藩 |
研究概要 |
平成23年度は、関西学院大学所蔵林田藩士沢野家文書のうちの勤役日記全点を写真撮影し、寛政11年・嘉永2年・同3年・同6年について、全文筆耕を行った。その結果、幕末の林田藩代官は、領内全ての大庄屋行政区を管轄するという立場から、各組大庄屋から上申された諸届・諸願の処理にあたっていたことが確認された。とりわけ、借銀訴訟や年貢滞納関係の記述が目立っており、このことが林田藩代官の重要な職掌であったことが窺われる。代官日記の詳細な検討はこれからであるが、23年度に撮影収集した林田藩大庄屋三木家文書の日記分析結果とつき合わせることで、外様小藩領での地方支配の実態と特質が具体的に明らかになると考えられる。藩領村々の実態については、ほぼ藩領全村のデータが揃っている寛政7年・寛政12年・天保8年・弘化3年・嘉永6年の五ヵ年を対象にして、主に年貢勘定目録を素材にして検討を行った。その結果、一円的小藩領であるにもかかわらず、村々では新田開発や小物成費目・武家奉公人の供出等に差違が見られた。 信州岩村田藩については、割元役を勤めた篠沢家文書(未整理文書)の現地調査を中心に行った。目録作成作業を泊まり込みで延べ6日間にわたって行い、計332点の史料目録を取った。未調査分がなお残されているものの、調査済み史料から判断した限りでは、岩村田藩割元役の職掌は大庄屋としてはかなり限定的であり、一般の庄屋とさほど大きな違いは無かったと考えられる。しかしながら、数ヵ村単位の武家奉公人徴発関係文書が少なからず存在することから、諸藩の大庄屋に通底する役人足徴発機能が、岩村田藩割元にも当てはまると考えられる。また、国文学研究資料館や長野県立歴史館などにおいて、岩村田藩関係史料の調査を行い、関係史料を収集した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
居付型大名領の林田藩については、沢野家日記の筆耕がいまだ4ヵ年分しか終わっておらず、また、大庄屋日記の分析が進んでいないため、代官と大庄屋の職務連携関係が十分に把握できていない。 転封型大名領の岩村田藩については、割元家文書の目録整理が予定通り進んでいるが、同藩割元役の職掌範囲が当初の予想以上に限定的であったと考えられるため、篠沢家文書の調査と並行して、他の同藩割元や郷宿の史料を検討する必要が出てきたため。
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今後の研究の推進方策 |
沢野家代官勤役日記のうち、未翻刻分について、翻刻・分析を行う。並行して、大庄屋三木家文書の天保期以降の未撮影分について撮影収集を行う。嘉永期を中心に代官日記の分析を進め、同時期の大庄屋日記も分析することで、代官と大庄屋の職務連携関係を明らかにする。 岩村田藩については、篠沢家文書の未調査分の調査を継続して行い、その全体像を把握する。また、他割元家と郷宿家の文書について検討を行う。手始めとしては旧佐久市志収集資料(佐久市教育委員会所蔵)の調査を行う。
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次年度の研究費の使用計画 |
大庄屋三木家文書(姫路市林田)、割元篠沢家文書(佐久市岩村田)、佐久市教育委員会所蔵資料の調査収集に、旅費と人件費・謝金を用いる。また、沢野家文書の筆耕作業にも人件費・謝金を用いる。三木家文書の調査は2日間程度。篠沢家文書の調査は6日間程度を予定する。沢野家文書の筆耕作業は、林田・岩村田の出張調査作業を優先して、その進捗状況に応じて、どの年代までをアルバイトに筆耕してもらうかを判断する。
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