研究課題/領域番号 |
23520865
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研究機関 | 山口大学 |
研究代表者 |
馬 彪 山口大学, 人文学部, 教授 (20346539)
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研究期間 (年度) |
2011-04-28 – 2014-03-31
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キーワード | 秦始皇帝 / 禁苑 / 秦地禁苑 / 上林苑 / 林光宮 / 尚家嶺秦漢離宮 / オルトス直道行宮 / 麻池古城 |
研究概要 |
近年、中国で発見された木簡で、秦王朝の禁苑は決して皇室の遊園でなく、当時重要な政治を行う場である。ゆえに、本研究の目的は、出土資料により、秦王朝の各地方に存在する禁苑群という政治を行う場所が、帝国の都という政治中心との役割分担をどのように荷なったかいう観点で、秦代禁苑の分布・構造・政治的な特質を明かにするものである。H23年度は本研究を実施する最初年度であり、本研究の基礎となる「秦地禁苑」についての研究は三部構造により始まった。1)渭河の南岸における秦の近畿地域禁苑である上林苑遺跡を行った。中国側の遺跡を調査する責任者らの案内で、遺跡の規模・範囲・現状などを確認できた。驪山苑遺跡にも調査したが、秦遺跡の上に漢代・唐時代の禁苑を覆い被せたので、秦の遺構は少ない現状を認めた同時に、発掘者の重ねた遺蹟の下に早期遺構の調査への無力感を感じた。2)甘粛~陝西の渭水流域にある歴代秦の禁苑を調査した。好運ともいえ、昨年に陝西省考古研究院の研究チームはその辺りに位置した陝西省千陽尚家嶺秦漢離宮の建築遺跡を発見し、其の現場を踏査が行われた結果によって、秦旧都周辺にある禁苑の独特な旧都から変身した性格という筆者の仮説に改めて検証した。これは、本研究として重要な一歩前進だと考えられる。3)直道沿線の行宮として林光宮(漢に甘泉宮となる)から内モンゴルの麻池古城までの禁苑遺跡を調査した。特に自ら漢甘泉宮遺跡の踏査したうち、明かに秦代の建築部品を見つけたことにより、漢甘泉宮はやはり秦の林光宮基礎の上に立ちあげたものだと一層証明できた。直道の北端にあたる麻池古城遺跡を踏査した結果はこれまで誰も言ってない漢城と秦城の二部構造を発見、その城の性格は本当に禁苑かどうか疑問を持ち始めた。今回、初めて延安山区とオルトス直道沿線の行宮を踏査し、その臨時性宮殿と郵駅などとの関連性にさらに深く研究する課題をみつけた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上林苑遺跡の踏査は、予測以上の成果を得た。なぜなれば本研究を発足したH23年の春に中国社会科学院考古学研究所で「上林苑遺跡考古隊」が成立、その責任者の劉瑞氏の案内により遺跡の現場を廻しただけではなく、今後秦漢禁苑の研究についての日中共同研究に係る合意をした。陝西省千陽尚家嶺秦漢建築遺跡の踏査中に新情報を得て、明かに連帯性がある鳳翔孫家南頭・宝鶏魏家崖などの秦漢大型建築遺跡も発掘したことを知った。今後の調査として考えなければならない。直道の北端にあたる麻池古城遺跡を踏査した新発見と疑問はいずれも予想できなかったので、達成感があるが満足度は逆に低くなったのは否定できない。昨年の調査と研究から得た最も重要な成果とは、その秦帝国における典型的な禁苑の2つのモデルを定めた。モデルI型は近畿にある都に近づく禁苑は後に歴代の皇帝によって増築した首都圏の重要な一環となり、構造的、機能的にも典型化し、時続性がある特徴はあるのは確実である。モデルII型とは新たな都ができたあと、旧都の宮殿は禁苑や離宮となり、皇帝の巡行沿線に建築した行宮群となった二つの特徴たる禁苑は一時的、応用的、構造も機能も比較的に単純性あることに注目するべきである。モデルI型は長い中国の歴史や東アジア諸国の歴史に影響強かったが、モデルII型はむしろ秦王朝における最も独特な存在だといえる。とりわけH24・H25の秦の統一する前における戦国東方六国の旧都による秦王朝の地方禁苑や始皇帝の巡幸沿線に位置した行宮への踏査と研究に極めて参照になるのだろうと予測しておきたい。この点についてH23年度の研究は、戦国時代秦の禁苑から統一秦帝国禁苑へ変身した過程を模索するモデルとなって、その典型形式を原点として、本研究の計画したとき予定した点→線→面という順によって秦地における禁苑群の実像について史的な研究を実現することを一層確保したとも言えよう。
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今後の研究の推進方策 |
H24年度に計画とおり、秦地禁苑の踏査・研究から得たモデルによって、関東と江南地域における禁苑についての研究は特に出土文字や発掘資料を有効に利用する計画を立ち上げたいと考えている。なお、H23年度科研費の未使用額の発生した経緯について、当初に予想しなかったAO入試委員長を務め、夏休みの仕事が多くなって、計画した夏の海外調査を減らしたので、未使用額はH24年の海外調査に使用するようになった。(一)山東半島禁苑への踏査と研究:実地踏査により始皇帝が当時そこに巡幸した禁苑の実像を解明する三つの課題あり、1)始皇帝は4回も山東省を目的地としたが、当時、この地域の禁苑はどのような実像だか。2)始皇帝がどのように旧六国に残された禁苑を利用したか。3)文献・発掘・出土文字を統合し、秦王朝の禁苑が帝国にどのような役割を果たしていたかと追究する。(二)燕斉の沿海禁苑は、従来、渤海湾の一帯に関する文献史料や伝説を利用してきてもその地域の禁苑に対する研究がなぜ進まない一つの理由は資料が足りないことにある。幸いに、近年その地域で秦時代の建築遺跡が多数発見され、それらの現場の踏査や資料の利用は本研究計画の重要な一要素となる。故にH24年に遼寧考古研究所華玉氷の協力より実地踏査の予定である。また同じ渤海湾の秦皇島にも始皇帝の禁苑が発見されたので、秦皇島と葫蘆島の両地に位置する禁苑の比較研究もしたい。(三)江南地方における旧楚・呉越地の禁苑は史書以外にも記事が少なくない。例えば『墨子』に「楚之有雲夢(苑)也。此男女之所屬而觀也」とあるが、「雲夢(苑)」の場所は全く確定できない。ただ龍崗秦簡に「雲夢禁中」とあり、張家山漢簡「津関令」に「雲夢附竇園一所在朐忍界中」と書かれている出土文字資料が見けた。木簡の出土地での実地踏査を実施しながら雲夢禁苑の場所を確定し、それらの構造的な検討へと進みたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
1国内外の旅費は、本研究においては、国内旅費および海外旅費を必要とするが、それは本研究の特徴が研究代表者による毎年夏・春休み集中して行う海外調査にあり、そのための滞在費を計上しているからである。また国内旅費は年一回(他大学での資料収集と協力研究者との検討会)、一回一泊二日を原則としての旅費である。2 謝金とその他の費用は、海外協力者側の案内費用(以前要らなかったが近年にそうなっている)と当地での出土品の借り出し料のためである。これによって、発掘現場の人間との協力関係を結び日中研究者が一体となって進める本研究の特徴を生み出すことができる。3 本研究では備品の要求を(既にデジタルデータを扱う備品は揃っており、最低限の買い足しや一部の買い換えなどで対応可能と考えているから)最低限にとどめ、代表者のもとに必要な現地でのデータ一次処理・保存用に小型のノートパソコン1台を設置する。なお、H23年度科研費の未使用額の発生した経緯について、当初に予想しなかったAO入試委員長を務め、夏休みの仕事が多くなって、計画した夏の海外調査を減らしたので、その分の金額はH24年の海外調査に使用するようになった。
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