本研究はロシア帝政期の中央アジア・シャリーア法廷における個人間の紛争解決プロセスを研究するものである。当時の現地シャリーア法廷において作成された、または、そこに提出された各種法廷文書と、帝政期以降ロシア当局によってシャリーア法廷の主催者たるカーディー(裁判官)にその作成が義務付けられた判決台帳の内容を比較検討した結果、以下の様な結論が得られた。即ち、判決台帳は特定の紛争の解決プロセスを包括的に記録するものであるが、反面、カーディーの裁量により一定量の情報を捨象する傾向がある。したがって、当時の紛争解決プロセスをより詳細に再構成するためには双方の史料を利用することが必要不可欠である。
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