研究実績の概要 |
本研究課題は、1950-70年代のイギリスに旧植民地から移民が流入した結果、政策枠組みとしての「人種関係」が浮かび上がるのとほぼ並行する形で、国内外に生じる「人種問題」への意識が高まる過程と、ほぼ同時期に大きな盛り上がりを見せたイギリスにおける南アフリカのアパルトヘイトに反対する市民・政治運動の関わりを明らかにしようとするものである。前年度までの史料調査で明らかになってきたことは、イギリスの「反アパルトヘイト運動(Anti-Apartheid Movement, AAM)」のニューズレターの分析などを通じて、イギリスにおける反人種主義運動において一定の役割を担った「白人」リベラルの人々が、「反アパルトヘイト運動」において中心的な役割を担った人々と人的にオーバーラップすることが指摘できる一方で、AAMにおいては、常に人種的なマイノリティの人々との協調が欠けていたことがわかってきている。反人種主義運動、反アパルトヘイト運動は、反植民地主義運動(Anti-colonialist movement)とも人的なオーバーラップが指摘でき、昨年度からは、労働党左派議員で1950年代後半に議会に人種差別禁止法案の導入を9度に渡って試み、その一方で反アパルトヘイト運動、反植民地主義運動にも関わっていたフェナー・ブロックウェイ(Fenner Brockway)らの1950年代から60年代の運動に関する研究を進めるとともに、より幅広く、当時の反人種主義運動の構図を検証するために、他の反人種主義市民団体およびマイノリティを主体とした反人種主義団体の文献にあたるなどの史料調査を行った。
|