本年度は、帝国が時代の経過と共にキリスト教徒優遇政策の方向に実際に転換していったのかを確認する目的から、「権力中枢における実際にキリスト教徒と異教徒の勢力分布および勢力争いの実態」、および「帝国統治における教会利用の実態」について文献調査を行った。道長官や軍司令官等、帝国の官僚団の宗教性をプロソポグラフィックな方法で考察したT.D.Barnesその他が収集したデータを再検討した結果、コンスタンティヌス朝期における勢力分布は彼らが考えるほどキリスト教化されておらず、さらにテオドシウス朝期でも確かにキリスト教徒の数は増大するが、まだ多くの異教徒が皇帝側近にいたことが確認できる。ただし増大原因は単に宗教性の変化というよりも、公役負担の回避を目的とした富裕者の教会流入、および帝国が実施した対抗措置としての教会に対する公役義務化、そしてそれに伴う異教への再改宗に対するペナルティがそれ相応の効果を発揮したことにあった。これは、3世紀に地方都市レベルで生じた参事会入会忌避と、それに続く入会強制に良く符合する現象である。このような考察から分かることは、帝国は確かにキリスト教化の方向に進んでいったとはいえ、それは都市の分解による求心力低下の時代における一つの有力な対策であり、富裕者が集う地方諸都市の教会を求心力の発出点としてこれに参事会的な機能を担わせることを目的としたということである。ここで特に重要なことはコンスタンティヌス以降の時代変化に伴う帝国の政策変化である。すなわち、教会入会の条件の中に(ある程度の)貧困的状況を入れて富裕者を排除し、参事会員としての義務履行を強制したコンスタンティヌス朝期とは対照的に、テオドシウス朝期には富裕者=教会員という前提の下、その組織を帝国の中核要素として帝国再建のために活用したのである。
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