本研究は、第三共和政前期(1870-1914年)にパリでおこなわれた国政および地方選挙において、同郷集団がいかなる役割を果たしたのかを研究するものである。用いた史料は、パリ第5区・11区・14区でおこなわれた下院議員選挙および市議会議員選挙のポスター・ビラ類、警察による選挙運動監視報告、および諸同郷会が刊行する新聞・会報類である。 最終年度でもある本年度は、これまで収集・閲覧した文献および史料を分析し、研究のとりまとめに向けて作業を進めた。現在のところ、同郷会の選挙への関与は総体的に弱かったという結論に至っている。具体例にした区は地方出身者の集住が比較的目立った地区であるため、サンプルの問題とは考えにくく、同郷会の政治活動そのものが活発ではなかった可能性が高い。 その一方で、地方出身者がパリで市議会議員に当選し、そののち国政に転出する事例が多かったことも判明している。この点で、同郷会が地方すなわち議員の出身地と国政とを結ぶネットワークとして機能していた可能性を当初は想定していた。しかし、同郷会の政治活動が低調だったことから、このような可能性は否定されることになる。つまるところ、議員はもっぱらパリ選挙区の利害を代表する存在として国政に関わっていたのである。 他方で、研究代表者がこれまでおこなった研究によれば、同郷会の活動は経済的な互助が中心であり、言語的・文化的な活動は重視されていなかった。本研究課題からの知見と併せれば、同郷会の活動はほぼ経済面に限定されていたことになる。19・20世紀転換期のフランスでは地域文化が称揚されるが、それは都市社会の現実とはかなり異なるものであったと言える。
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