当該年度においては、1501年~1530年の間に作成された聖地巡礼記全41作品(旅行記の総数は66作品)の分析を行ったが、その結果の概要は以下の通りである。 15世紀後半よりヨーロッパ世界はオスマン帝国の脅威に晒されていたが、概してヨーロッパ人は同帝国に対して恐怖という感情を抱いていた。1517年に同帝国が聖地周辺域を支配下に組み込んだ結果として、聖地巡礼者たちは不可避的にトルコ人と接したわけであるが、彼らは「護衛」という名目で金銭を「強奪」するトルコ人を体感することとなった。 その結果として、トルコ人に対するヨーロッパ人たちの感情は、さらに悪化していくこととなった。このような状況の中において「十字軍観」も変容していったことが、次の二点より確認された。まず一つは、「聖墳墓の騎士」叙任という点である。かつては、あくまでも「栄誉」という枠組みからはみ出ることのなかった「聖墳墓の騎士」叙任において、対異教徒(トルコ人)ということが現実味を帯びる形で強調されていくのである。もう一つは、「十字軍の歴史」叙述という点である。かつては、あくまでも過去の出来事として切り離されていた「十字軍の歴史」が、当該時期において同時代の出来事と連続性をもって描かれるようになり、かつその叙述の中において従来は「サラセン人」・「ムーア人」と表されていた異教徒が「トルコ人」に書き換えられていったのである。 以上を総合すると、オスマン帝国による聖地周辺域の支配が、新たな十字軍観を創出したと結論づけられるのである。
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