マムルーク朝末期からオスマン帝国初期にかけての聖地周辺域の無秩序状態は、聖地巡礼者たちの中に反ムスリム感情および「十字軍」の希望を醸造させた。しかし、1530年代に入りオスマン帝国による聖地周辺域支配が安定化傾向を見せるに及んで、彼らは護衛者としての「トルコ人」に感謝の意を表するようになった。ただし、それは彼らの中から反「トルコ人」感情を払拭するには至らず、反キリスト教としてのイスラーム信仰における主役も「トルコ人」となった。経験を通じて反「トルコ人」感情も醸造させた巡礼者たちは、過去の「十字軍」ではなく、その感情を接着剤として聖地回復の希望=聖地の解放と「十字軍」の希望を接合させていった。
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