アレクサンドロス大王の東方遠征のなかで、アケメネス朝ペルシア帝国の首都スーサからペルセポリスに至る経路を解明した。大王はまず山岳民族のウクシオイ人を平定し、次いでペルシア門と呼ばれる隘路で総督アリオバルザネスの軍勢を破った。ザグロス山中で実地調査を行った結果、これら2つの戦闘地点について、通説ではなくスペック教授の新説が正しいことがわかった。さらにペルシア門におけるアレクサンドロスの迂回路を実際に踏査して、戦闘経過を復元することに成功した。迂回路の学術調査は、おそらく世界初の試みである。以上の成果に基づき、アケメネス朝時代の「王の道」には夏と冬の2つのルートがあったことが明らかになった。
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