研究概要 |
真珠湾攻撃(1941年12月)から約半年後、アメリカ連邦政府は西海岸に住む日系アメリカ人(日本人移民とその子孫、以下、日系人)を強制的に立ち退かせたが、彼らを隔離した収容施設内で日本を象徴する「敵性文化」をどのように統制、あるいは許容したのか? 本研究の目的は、とくに最初期の「仮収容所」(assembly center)に限定し、かつ「日本語の使用」、「宗教活動(仏教・神道など)」、「学校教育」の3点に焦点をしぼり、つとめて実証的な方法で上の問題を解明することである。 上述の研究目的に照らして、今年度も十分な成果(あるいは、近い将来に成果として結実する可能性のある活動)をあげることができた。 まず、アメリカ・ジャーナリズム史の分野ではもっとも権威があるジャーナルの1つであるJournalism Historyに論文を掲載することができた。もちろん、審査を通過している。書誌情報は、“An Enemy’s Talk of ‘Justice’: Japanese Radio Propaganda against Japanese American Mass Incarceration during World War II,” Journalism History Vol.39, No.2, (Summer 2013): 94-103、である。 次に、日本におけるアメリカ研究の中心的存在であるアメリカ学会の英文誌にも論文を掲載することができた、これも当然、審査を通過している。書誌情報は、“A Disturbing and Ominous Voice from a Different Shore: Japanese Radio Propaganda and its Impact on the US Government’s Treatment of Japanese Americans during World War II,” The Japanese Journal of American Studies No.24 (June 2013): 105-124、である。 夏休み中にはコロラド州立大学ボルダー校、そして冬休み中はアリゾナ州立大学に出張し、日系アメリカ人関係の一次史料を渉猟してきた。
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