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2013 年度 実施状況報告書

東日本における初期仏教寺院導入期の考古学的研究

研究課題

研究課題/領域番号 23520927
研究機関駒澤大学

研究代表者

酒井 清治  駒澤大学, 文学部, 教授 (80296821)

キーワード寺院 / 飛鳥時代 / 素弁軒丸瓦 / 韓国扶余 / 渡来人
研究概要

当該年度の調査は、埼玉県埋蔵文化財調査事業団が所蔵する寺谷廃寺出土瓦を借用し、大学院生3名を研究協力者として、今まで集成した資料収集をさらに充実するための基礎資料とした。実測、拓本、写真、胎土の確認・細分を行った。また、寺谷廃寺出土瓦は、時期ごとに胎土が異なることから、今まで集成した資料の胎土拡大写真を撮影して、今後の基礎資料とする作業を行った。これにより、実測図、拓本とともに寺谷廃寺出土瓦の基礎資料が提示できる。
また、最終年度でもあり研究成果をまとめを『駒沢史学』80号(2014.3)に「埼玉県寺谷廃寺から勝呂廃寺へ-素弁軒丸瓦から棒状子葉軒丸瓦へ-」として執筆した。比企郡北部の寺谷廃寺の素弁軒丸瓦が、棒状子葉単弁軒丸瓦に変遷し、それが入間郡北部の勝呂廃寺創建瓦に使用され、比企郡南部に分布することに注目し、入間郡の物部直氏が関わったと想定した。また、寺谷廃寺の創建については、やはり物部(直)氏が関わったと想定されている見解があることから、安閑紀武蔵国に置かれた四処屯倉の一つ、横渟屯倉に近接していることも考慮して建立の歴史的背景を想定した。
3月には昨年に引き続いて韓国慶尚道地域で百済系譜の瓦の調査を行った。その目的は、百済中央部(公州・扶余)では平行叩きが主体で、寺谷廃寺は格子・斜格子叩きであることから、百済から周辺部を経由して列島へ渡ってきたのではないかと想定した。今回は釜山・慶州・大邱を調査した。瓦当文様では類似するものの、叩き技法では共通する資料は確認出来なかった。

現在までの達成度 (区分)
現在までの達成度 (区分)

2: おおむね順調に進展している

理由

昨年度同様、寺谷廃寺、平谷窯跡の瓦の検討からは、日韓の軒丸瓦の類似点は確認出来たものの、技法の検討は遅れている。
しかし、現段階で寺谷廃寺・平谷窯跡の出土瓦の資料化が進んだ。
また、武蔵における素弁軒丸瓦は、寺谷廃寺と羽尾窯跡、馬騎の内廃寺と末野窯跡に対応しており、前者が陸路で、後者が荒川による水運で埼玉古墳群の首長層とお互い結びついていると考えた。さらに寺谷廃寺は、武蔵において安閑紀に置かれた四処屯倉の一つ、横渟屯倉に近く、寺院建立が屯倉と関わる可能性も想定できた。

今後の研究の推進方策

昨年度記した推進方策の創建背景についてと、素弁軒丸瓦から棒状子葉軒丸瓦への変遷については検討できた。
しかし、素弁軒丸瓦から棒状子葉軒丸瓦への技法的検討が不十分であること、東山道あるいは東山道から入間郡・比企郡の郡境で分岐して埼玉古墳群の方向へ向かう道路跡との関連が不十分である。
今後出土瓦と周辺遺跡の検討を行うことにより解決していく。

次年度の研究費の使用計画

研究協力者7名を申請したが、研究協力者の都合により主に3名の修士1年生で作業を行ったため、計画通り進まなかった。
また、今年度実測を予定していた埼玉県埋蔵文化財調査事業団所蔵の寺谷廃寺出土瓦の借用が、所蔵機関の事情で貸出が9月以降となってしまったため、実測作業の開始が遅れ今年度の作業が完結しなかった。
次年度も研究協力者3名で借用資料の調査を進めるが、主に胎土拡大写真撮影を続ける予定である。

  • 研究成果

    (1件)

すべて 2014

すべて 雑誌論文 (1件)

  • [雑誌論文] 埼玉県寺谷廃寺から勝呂廃寺へ-素弁軒丸瓦から棒状子葉軒丸瓦へ2014

    • 著者名/発表者名
      酒井清治
    • 雑誌名

      駒沢史学

      巻: 80 ページ: 187-212

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公開日: 2015-05-28  

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