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2014 年度 実績報告書

東日本における初期仏教寺院導入期の考古学的研究

研究課題

研究課題/領域番号 23520927
研究機関駒澤大学

研究代表者

酒井 清治  駒澤大学, 文学部, 教授 (80296821)

研究期間 (年度) 2011-04-28 – 2015-03-31
キーワード考古学 / 埼玉県 / 寺谷廃寺 / 仏教文化 / 初期寺院 / 素弁蓮華文軒丸瓦 / 百済
研究実績の概要

寺谷廃寺は埼玉県比企郡滑川町にある、東日本最古の寺院跡である。寺谷廃寺の付近には、大型古墳が存在しないことから、なぜこの地に造営されたかを探ることを目的とした。寺谷廃寺は、近接する平谷窯跡から瓦が運ばれており、平谷窯跡出土の須恵器から、7世紀前半に創建された。創建瓦は素弁軒丸瓦が3種あり、中心の中房には1+4の蓮子があり、飛鳥寺にはない様式である。類例は百済に多く、百済からの渡来人との関連が想定されている。百済の瓦は平行叩きが主体であるが、寺谷廃寺では格子系の叩きがほとんどであることから、今後もその関係は検討が必要である。
寺谷廃寺が造営された理由は、安閑天皇の時代に横渟屯倉が設置されたことと関係があろう。7世紀前半に推古朝が屯倉の殖産として、羽尾・花気に須恵器の窯が、平谷に須恵器と瓦の窯が作られ、寺谷に寺院を建立して、先進的な仏教文化を最も早く導入したのであろう。
その導入に関わったのは、『聖徳太子伝暦』に登場する、633年に武蔵国造になった物部連(直)兄麻呂の可能性がある。
寺谷廃寺では時期が下った棒状子葉軒丸瓦という単弁系の瓦が出土するが、東松山市大谷瓦窯跡や坂戸市勝呂廃寺の創建瓦とし使用された。勝呂廃寺は入間郡の郡寺と想定されており、8世紀後半にいた入間郡の大伴部赤男、物部直広成のどちらかが関わっていたと考えられる。物部直広成と考える立場で、寺谷廃寺を創建した物部と連なると想定している。寺谷廃寺から勝呂廃寺へ、また、その間に棒状子葉軒丸瓦という軒丸瓦が分布することが、この勢力の範囲にあり、そこに南比企丘陵窯跡群が作られ、国分寺の瓦が生産されたのであろう。

  • 研究成果

    (3件)

すべて 2015 2014

すべて 雑誌論文 (2件) 図書 (1件)

  • [雑誌論文] 南多摩に分布する剣菱文軒丸瓦と牛角状文唐草文軒平瓦小考2015

    • 著者名/発表者名
      酒井清治
    • 雑誌名

      駒澤考古

      巻: 40 ページ: 100-113

  • [雑誌論文] 埼玉県寺谷廃寺から勝呂廃寺への変遷2014

    • 著者名/発表者名
      酒井清治
    • 雑誌名

      駒沢史学

      巻: 82 ページ: 187-212

  • [図書] 日韓のハソウと有孔広口壺2014

    • 著者名/発表者名
      酒井清治・飯島武次
    • 総ページ数
      486(296-303)
    • 出版者
      同成社

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公開日: 2016-06-01  

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