2012年度に引き続き、ホンジュラス、コパン県ラ・ヒグア市所在のエル・プエンテ遺跡建造物6の発掘調査おこなった。その結果、1段目の基壇上から2段目の基壇に達する中央階段が残存していることを確認した。しかし、この中央階段南側から2段目、1段目の基壇にかけて、基壇、階段を構成する石積みが崩落、および抜き取られてることが判明した。盗掘目的というよりは、建築材等に再利用するためと思われる。そのため、最終居住段階の復元は難航したが、ほぼ建造物6の正面構造については明らかにすることができた。その結果、少なくとも、1段目の基壇は、隣接する建造物7と最終居住段階においては接合していたことも判明した。建造物6の南側に位置する建造物7は、複数箇所の「盗掘」痕が地表面からも観察されることから、本研究の調査対象からは除外していたが、今回の結果は、建造物6、7の両建造物を一つの「単位」として検討する必要があることを示していると言えよう。 本研究期間においては、南東マヤ地域最大センターであるコパン遺跡の2次センター(エル・プエンテ遺跡)の「支配者」の居住用建造物の調査を中心におこなったが、1次センターと2次センターの紐帯を検証するための「支配者」の埋葬を確認するには至らなかった。しかし、上述の通り、二つの建造物が一つの「単位」として機能していたとすれば、1次センターであるコパン遺跡とは違うパターンを示している。個々の建造物が都市の構造上、「場」としてもつ機能について精査する必要性を喚起したという点は重要であろう。さらに、過去の調査における出土遺物の精査も併行しておこなったが、1次センターと2次センターにおける共通の属性をもつ遺物(今回の場合は人物像型香炉)の比較研究からも古代マヤ社会を支えたイデオロギー的側面としての儀礼を通じた1次センターと2次センター間の紐帯の検証の必要性を指摘することができた。
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