農村の行き詰まりを打破する国の施策としてグリーンツーリズムが導入されたが、それに対応し、有効な手法として生まれたのが安心院の農村民泊である。観光としての宿泊には種々の規制が伴う。しかし、ドイツやフランスなどではバカンス法が施行されており、農泊は農村の生業の一部を構成し、規制はないといってよい。 それに対し、日本での農泊の展開は、日本独特な規制とのすり合わせ、そしてそれらの撤廃の過程と捉えられる。インフォーマルな観光の試みを、フォーマルな制度や組織と交渉し、ときに協働しながら、相当規模の受け入れを行ってきた。「親戚づきあい」といわれる農泊は、都市と農村をつなぐ空間としての役割も果たしてきた。今年度はこうした点を調査し、明らかにした。 人類学者ワグナーの文化の捉え方に、異文化に接して、訪れた地域の文化と自らの生まれ育った地域の文化を同時に識るというテーゼがあるが、その点では、農泊のゲストもホストも各々、自/他の両方の文化を対象化し、意識する過程が農泊である。ホストは自らの地域の文化的価値を見出し、ゲストは都市での生活の問題から一時的にでも解放され、より人間的な関係性を回復する空間が形成されている。ホストにとっては「村社会の同質性→都市との有意な差異」、ゲストにとっては「都市生活での差異→人間としての同質性」といった契機が存在する。また、受け入れ農泊家庭では、女性がイニシアティブをとり農泊を推進し、さらに農泊家庭の女性同士が連携し、地域文化の保護・伝承に努めるなど、従来の農村社会では限定的であった女性の経済と文化の担い手としての存在感が見られる。 安心院の農泊をこのように、まず原理的に差異と同一性という観点から捉え、さらにフォーマル化した農泊組織とそもそもフォーマルである行政組織との関係性や、農泊概念の希薄化、受け入れ家庭の老齢化など、今後の課題を含めモデル化してきた。
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