研究課題/領域番号 |
23520990
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
太田 好信 九州大学, 比較社会文化研究科(研究院), 教授 (60203808)
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キーワード | ポストヴァナキュラー論 / ハワイ日系人社会 / 沖縄方言 / アイヌ語 / アイデンティティ / 言語復興運動 |
研究概要 |
平成24年度の調査では、以下の3点が明らかになった。(1)アイヌ語は、言語を支える共同体が欠如しているため、意思伝達という機能はないが、反面、その象徴的機能が増加した。すなわち、短いアイヌ語表現や単語を用いることにより状況を定義することが顕著になっている。(2)ウチナー口(とくに、もっとも社会的評価の高い首里方言)は、行政も参加し、さまざまな復興が行われている。たとえば、ラジオなどのメディアを通した普及、公民館活動の一環としてのウチナー口講座の開講、小学校や中学校における方言による自由研究発表などである。また、漁労活動において漁民は糸満方言を通して意思疎通を行うため、糸満から遠く離れた八重山地方の漁民の間でも糸満方言は継承されていることがわかった。魚類の分類名称すらも、糸満の呼称と八重山で一般的な呼称との両方が流通している。(3)大戦間期(とくに、1920年代)のハワイ準州日系人社会において、2世に対する日本語教育は重要な案件であった。しかし、当時のハワイ準州では外国語学校排斥の機運が起こり、日本語教育は危機に直面していた。今回の調査では、実際に日本語教育に利用されていた日本語教科書を参照した。それらの内容は日本に参照枠組みを求めず、むしろハワイ社会への適応を促す内容だった。しかし、2世は米国市民であるから、日本語教育は不要であるという批判が起きてもいた。この批判は、言語がアイデンティティを規定するという考え方を前提にしていることが判明した。今年度の結論は、21世紀は言語=アイデンティティという図式が崩れるポストヴァナキュラーの時代であることである。しかし、21世紀においても、言語=アイデンティティという考え方が消滅したとはいえないことも事実だ。なぜなら、近年盛んになりつつある言語復興運動の背景には、ヴァナキュラー的言語論も完全に放棄されていないからである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究の目的は、21世紀における言語とアイデンティティとの新たな関係を考察するために有効な視点として、ポストヴァナキュラー論を提示することである。20世紀では、国民国家、共同体のアイデンティティを下支えしていた重要な要因として言語をあげることが可能であった。しかし、21世紀では言語がアイデンティティを規定する要因ではないと言い切ることが可能になったかもしれない。しかし、言語とアイデンティティとの関係は無効になったのではなく、より複雑になったという方が正鵠を得ているだろう。なぜなら、21世紀になり言語復興への熱は高まる一方であるからだ。本年の調査では、日本国内における言語復興に関する実地調査、さらには20世紀前半のハワイ準州における歴史資料閲覧を通して、ポストヴァナキュラー論を構築する上で、その中核となりうる資料を入手できた。とくに、言語復興運動から垣間見えるのは、支配的言語により置き換えられてしまった生活空間を、言語復興という活動をとおして、異なった空間として認知し直す行為である。したがって、復興という表現は正確ではなく、言語の新機能―意思伝達ではなく、生活空間を認知し直す象徴的機能―が前景化されているのである。
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今後の研究の推進方策 |
ポストヴァナユラー論が名指す21世紀的状況とは、言語=アイデンティティという図式が機能しない場所が多発していることである。だが、その認識とは一見矛盾するかのように、言語=アイデンティティという図式のもとにさまざまな言語復興運動が起きてもいる。とくに、国民国家の周縁部―本研究の場合は、北海道におけるアイヌ語と沖縄県におけるウチナー口が例である―では、そのような活動が活発になっている。今後の研究課題として、これら矛盾する状況を捉えるべく、いくつかの疑問を関連付けて考察する必要があるだろう。一つは、言語復興活動が頻繁に起きる社会的状況とは何だろうか。何がそのような活動を後押ししているのだろうか。また、言語復興と一般的に呼ばれている活動の詳細な内実を調べ、言語の新機能をさらに明らかにする必要があるだろう。近代国家内で周縁化されてきた言語が、行政や国家政策の一環として言語復興への支援を受ける時、それらの支援はどのような意味をもつのだろうか。それらの疑問への解答を模索することにより、今後は、ポストヴァナユラー論を言語=アイデンティティという20世紀的思想へのアンチテーゼではなく、それを批判的に継承する考え方として微調整するようにしたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
平成25年度は、これまで北海道、沖縄県での実地調査とハワイ州での文献調査を継続する。上記「今後の研究の推進方策」において示したように、言語復興を活性化させいる要因を、活動に携わっている人びとの視点を通して明らかにしたい。復興に関与する人びとの視点から活性化の要因を探る理由は、行政を通した予算配分などは必要条件にすぎず、十分条件ではないため、どのような目的で、それらの予算が利用され、どのような成果が生まれているかを解明する必要があるからだ。問題は、当事者にも言語を共同体のヴァナキュラーとして復活させることが困難であることが明白でありならが、復興活動は継続していることである。復興活動から、当事者さえも予期していなかった結果が生まれている可能性がある。それらの予期せぬ成果も含めて、復興活動を当事者の視点から解明したい。とくに、復興がヴァナユラーの回復をまったく見込めないアイヌ語においては、いまだに調査は十分ではない。また、ウチナー口もアイヌ語ほどではないが、ヴァナキュラーとしての復活は期待でききないものの、復興活動は盛んである。行政などの思惑とはずれているが、しかし、21世紀の周縁的言語の将来を予想するためには重要な資料を提供するはずである。グローバル規模での言語の多様性が減少しているという事実は否定できないが、これらの復興活動の結果、ヴァナュラー言語の機能とは異なった言語機能が生成されつつあるのではなかろうか。これらの仮説を検証するためには、本年度までの調査結果を踏まえ、さらに厚みのある資料収取の必要である。平成25年度は、当初の「研究の目的」にも示したが、実地調査を継続する。
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