研究概要 |
本研究で言う権威的法典籍の代表的なものとして、18世期イギリスで出版されたブラックストン『イングランド法釈義』(William Blackstone, Commentaries on the Laws of England, 4 vols., 1st ed., 1765-1769. )について、研究課題にかかる多面的な調査を継続して実施している。 その過程で、『イングランド法釈義』の、日本への影響を調査したところ、明治初期に、星亨、石川彝の二人によって、それぞれ部分訳が出ていることがわかった。この二つの翻訳の底本およびその特徴、訳文比較、ならびにそれぞれの翻訳のねらいを中心にして調査研究した。 上記の部分的邦訳が『釈義』の第1巻だったところから、差当り同巻に絞り、その内容が、日本語もその一つである「外国」語によってどのように伝えられ、場合によっては「継受」されるのかを実証的に確認する不可欠の作業として、上記の明治期邦訳と対照しつつ、全体を新訳する作業を行い、ほぼ終えた。 これをとりまとめるための媒体として、上記の2邦訳者のみならず、「外国」人が『釈義』の全体像を把握するために重用したと考えられる、ブラックストンの『分析』(William Blackstone, An Analysis of the Laws of England. 6th ed., 1771.)に対する調査・紹介に取り組んだ。これにより、特に2邦訳者が『釈義』の全体像をいかに理解しあるいは誤解したのかや、さらにはブラックストン自身がいかなる先人の業績の上に立つことによって、後々まで「権威的法典籍」とされる『釈義』を書きえたのかを、実証的に理解する手掛りが得られたものと考えられるので、これを資料論文として執筆した。これは、後掲のとおり、今年中に公表されることが決定している。
|