本年度は、イギリス、ドイツ、日本の法解釈論を比較し、それらの特徴を示す、国家法人論、立憲主義に関する議論、契約の原理論に関し論文化した。成果は、次のとおりである。① 国家法人と個人――日本国の戦争犯罪をめぐる(広渡清吾先生古稀記念論文集 日本評論社2015年12月)② 日本の「立憲主義」(法学教室 428号、2016年4月)③ 職務専念義務論考――「契約の論理」の観点から(中村浩爾先生古希記念論文集『社会変革と社会科学』近刊) 上記①においては、19世紀30年代にドイツでリベラリズムの手法として始まった国家の法人的構成が、19世紀後半に君主支配の理論として再構成される一方、フランスにおいては人民主権と結びつくかたちで展開していったことを追跡するとともに、それを踏まえて、人民(その基本的人権)と国家法人との関係を理論化し、国家間の条約で国家の戦争責任を不問に付すことは、近代国家の本質に不適合であることを理論化した。②においては、明治維新以降、最現代にいたる日本の立憲主義を、フランス、イギリス、ドイツの理論動向の歴史と照らし合わせつつ追跡し、その特徴を国際的に位置づけた。そして、立憲主義とリベラリズム、民主主義との関連、社会契約論との関連を考察した。③においては、職務専念義務に関する最高裁の判決(職場における全人格的に集中した職務遂行行為を求める)を対象とし、それが近代における契約の論を正しく押さえていないことを明らかにした。労働契約における契約のもつ論理においては、両当事者の主体性・自由平等が単に契約時においてだけでなく、履行時においても重要であり、このためアメリカの労働判例が示しているように職場においても、両当事者の利益の調整・バランス化が求められる。しかるに日本においては、使用者の指揮命令権が支配的となる。この問題を、国際的な法比較を通じて明らかにしようとしたものである。
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