現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
初年度夏までの研究成果は、中間報告論文「社会民主主義の国際連帯と生命力ーー1944年ストックホルムの記録から」(『未来』第541号、2011年10月)に、おおむね公表された。 ドイツ・ボンにおけるエーベルト財団ヴィリ・ブラント・アーカイヴ調査で、崎村茂樹の直接資料はなかったものの、ブラントら戦時ストックホルムの亡命社会民主主義者による「リトル・インターナショナル」の月例会記録を閲覧することができ、ブラント自伝 Willy Brandt,"Links und frei: Mein Weg 1930-1950",Hoffmann und Campe, 1982, S.341から崎村茂樹の出席が確認されている会合の、規模・出席者・頻度・決議・討論内容等について、具体的に知ることができた。 スウェーデンの研究協力者Dr.Bert Edstromとの面談のさい、事前に頼んでおいた崎村茂樹とストックホルムの病院で一緒になり「亡命」を勧めたと在独日本大使館「崎村茂樹問題文書」に出てくるスウェーデン人教師 Rector Per Sundberg (Viggbyholmschule)及び後見人になるTorsten Gardlundの記録の中から、Per Sundberg (1889-1947)宛の崎村茂樹の直筆独文手紙2通(1944年2月8日、5月22日)等、新資料が見つかった。 Dr.Bert Edstromからストックホルムの「リトル・インターナショナル」を詳しく研究したドイツ語博士論文 Klaus Misgeld, Die Internationale Gruppe demokratischer Sozialisten in Stockholm 1942-1945, Acta Universitatus, Uppsala 1976, の存在を教えてもらい、その後入手することができた。
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