研究課題/領域番号 |
23530170
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
加藤 哲郎 早稲田大学, 政治経済学術院, 教授 (30115547)
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キーワード | 亡命(スウェーデン) / 日本大使館(ドイツ) / 情報政治 / 日独関係 / 崎村茂樹 / ヴィリ・ブラント / インターナショナル / 社会民主主義 |
研究概要 |
第二年度である平成24年度は、本研究の中間総括として、在独日本大使館員崎村茂樹の第二次世界大戦中の活動、1943-44年スウェーデン亡命期におけるヴィリ・ブラント(戦後西独首相)、クライスキー(戦後オーストリア首相)、ミュルダール夫妻(スウェーデン社会民主労働党員で、戦後それぞれノーベル賞受賞)らの「ストックホルム民主主義的社会主義者のインターナショナル・グループ」への参加の問題を、前年度執筆の雑誌論文を増補・修正・加筆して、「社会民主主義の国際連帯と生命力ーー1944年ストックホルムの記録から」というタイトルのもとに、書物(田中浩編『リベラル・デモクラシーとソーシャル・デモクラシー』未来社、2013年)に収録できた。 当初予定していた中国における崎村茂樹についての調査旅行が、日中関係の困難と研究代表者の健康状態により延期を余儀なくされた。もっとも事前に中国側研究者に連絡をとったところ、中央档案館資料の閲覧は中国人研究者であっても難しいとのことであり、その部分は米国国立公文書館において、当時の在中国米国大使館・長春領事館資料の探索によって、補うことができた。崎村茂樹は、米国領事館調査員として、内戦期中国の農業経済と農村生活についてのレポートを、ワシントンの国務省に送っていた。 新たに浮上した、崎村茂樹の戦時在独日本大使館勤務当時の日独原子爆弾製造計画への関与の可能性の問題については、崎村茂樹が鉄鋼統制会ベルリン事務所嘱託としてシーメンス社幹部等と接触していたとはいえ、当時のドイツ、日本の原爆開発の遅れ、ウラン原料入手・輸送の困難から、崎村の関与はなかったものと一応判断した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
前年度執筆の中間報告論文とドイツ・スウェーデンでの収集第一次史料をもとに、スウェーデン亡命時代の崎村茂樹とヴィリ・ブラントら亡命社会民主主義グループとの関わりを中心に、書物のかたちで研究成果を公刊することができた。 崎村茂樹の1945-55年の中国滞在期については、中国での資料収集が困難であることがわかってきたが、代わりに米国国立公文書館で、いくつかの足跡資料をみつけることができた。 東日本大震災・福島第一原発事故以降の国内外での原子力開発の研究の進展の中で、崎村茂樹が戦時在独日本大使館で鉄鋼統制会・産業分析にたずさわっていたことから、当時のドイツ及び日本での原子爆弾製造計画に何らかのかたちで関与した可能性が日独関係史を研究する友人たちから指摘された。さしあたりの日本大使館関係文書の調査では否定的だが、なお陸軍・海軍関係の資料で確かめる課題が出てきた。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度である平成25年度は、懸案である中国での調査を、9月上海で予定されている国際会議の前後に試みることにする。ただしこれまでの事前調査では、中国共産党の関係する史料館のガードは堅く、「毛沢東暗殺未遂事件」のようなナイーブな問題での資料発見は容易ではないと推察される。日中関係の帰趨によっては、9月の国際会議の開催自体が予断を許さない。その場合は、米国、英国、ドイツ等の公文書館で関連資料を探索せざるをえない。 平行して、新たな検討課題となった日独軍事技術交流史のなかでの崎村茂樹の役割を吟味する
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次年度の研究費の使用計画 |
海外での資料収集・補充調査が、引き続き研究費の重要部分を占める。 日独軍事技術交流史という新たな検討課題との関連で、図書費・複写費に研究費を用いる。。
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