2013年9月にロシアのノヴォシビルスクで行われた、「国際セミナー:アジアの人口動態過程―歴史・現在・未来への仮説」に参加し、セクション1「アジアの人口動態・移民の過程」で、「19世紀のロシア貿易におけるアジア商人の役割」について報告を行った。ロシア人研究者から私の研究に対して多くのコメントを得られた。 ロシア綿業に関する、この10年余りの研究を再編集し、2013年にモノグラフを完成させた。これは日本の民俗学の方法を援用したものであり、ロシア更紗の生産・流通・消費を一連の回転と捉え、更紗から見たロシア経済史を描いた。従来のロシア綿工業は、西欧の経験を活かして後発国として発展したと描かれたが、私はロシア綿業の契機は、16世紀に中央アジアから輸入した赤更紗への憧憬によると結論づけた。 英国の綿工業の端緒は、インド更紗の輸入代替にあった。その過程は、ロシアが中央アジアの更紗を輸入代替した過程と相似形である。英国はインドに、ロシアは中央アジアに長年憧れてきた。英国もロシアも、インドを含む中央ユーラシアと比べると自然環境に恵まれず、更紗生産に必要な棉花と染料は国内で栽培できず、その負の環境を、国際的水平分業と科学技術の応用により克服した。この内容は『ロシア綿業発展の契機―ロシア更紗とアジア商人』(知泉書館)として公刊した。 2014年3月には、ロシア国立図書館(サンクト・ペテルブルク市)で『ウラジーミル県新聞』(1860‐1890年)を閲覧し、ウラジーミル県の綿工業の発展、および綿織物の流通に関わる記事を選択し、デジタル・データに変換した。この時期にロシアは流通革命を促進し、従来の遍歴商人による綿織物販売から、蒸気船や鉄道を通じた流通網へと転換を遂げる。現在、日本に持ち帰ったデジタル・データを整理しているところであり、2014年中には論文を作成し、学術雑誌に投稿する予定である。
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