本研究では戦時期の科学技術動員、戦中・戦後の科学技術者養成、科学技術者の軍民転換、「外地」からの引き揚げ等について研究を行った。戦時期の科学技術動員に関しては、帝国大学工学部や附置研究所の戦時研究の動向、さらに研究用資材難が深刻化する中で盛行を見た共同研究の実態(研究隣組、大日本航空技術協会、戦時研究員制度、学術研究会議、日本学術振興会など)を検討した。戦中・戦後の科学技術者養成に関しては、戦時中の日本国内だけでなく、「外地」における中等・高等工業教育機関の整備状況、戦後のGHQによる教育改革の影響、とくに航空学科や航空研究所の廃止など航空工学研究禁止の影響を考察した。 科学技術者の軍民転換ではまず帝国大学卒業生の動向を、学士会編『会員氏名録』昭和18年版と昭和26年版を比較することで検討した。その結果、昭和18年に陸海軍に勤務していた1665名の戦後の動向が明らかになった。具体的には1068名の戦後の勤務先が確認でき、一方その帰趨が追跡できない者(戦後の名簿に登場しない者)が484名、死亡が113名であった。「外地」からの引き揚げについては、朝鮮で電源開発や化学工場の操業に従事した技術者、南満洲鉄道の工作課で鉄道車輌設計等に従事した技術者、同鉄道の鉄道技術研究所で先端的な技術開発に従事した技術者、および彼らの「留用」問題を含めて検討した。さらに日本技術士会の名簿等を使って、旧陸海軍技術者および引き揚げ技術者のコンサルタントである技術士への転換状況を考察した。また旧陸海軍技術者を戦後多数受け入れた鉄道技術研究所の動向と新幹線開発の関係についても、主として技術者の側面から明らかにした。
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